江戸時代の大坂

江戸時代の大坂

1 町奉行同心屋敷地 2 曽根崎新地 3 米市場
4 町奉行与力屋敷地 5 青物市場 6 懐徳堂
7 適塾 8 鴻池善右衛門宅 9 八軒家の船着き場
10 東町奉行所 11 魚市場 12 薩摩藩蔵屋敷
13 思々斎塾 14 北御堂(本願寺津村別院) 15 南御堂(本願寺難波別院)
16 西町奉行所 17 砂場 18 新町遊郭
19 四つ橋(長堀の東に炭屋橋、西に吉野屋橋。西横堀の北に上繋橋、南に下繋橋)
20 武家地 21 大坂城代屋敷 22 堀江新地
23 大丸(下村松屋呉服店)
24 芝居小屋五座(東から竹田座、若大夫座、角座、中座、大西座)
25 難波新地
築山作品の登場人物の家
1 三春屋(お香、お涼、お美和の三姉妹が営む寺子屋/『寺子屋若草物語』)
2 若狭屋(呉服屋。甲次郎、信乃、千佐らが住んでいる/『甲次郎浪華始末』)
3 元両替商鴻池新十郎の隠居所(鴻池の後家小町・澪が叔父の希楽と暮らして いる/『鴻池小町事件帳』)
4 一文字屋(文蔵、お紅実父娘の営む本屋/『一文字屋お紅実事件帳』)
5 赤穂屋(〈在天別流〉と親しい情報屋赤穂屋の営む居酒屋/『緒方洪庵浪華 の事件帳』『浪華の翔風』)
6 楽人町東儀家屋敷(弓月王(上総)、左近の兄妹が暮らす屋敷/『緒方洪庵 浪華の事件帳』『浪華の翔風』)
7 高麗屋(〈在天別流〉の楽人若狭、左近が裏務めの拠点とする饅頭屋/『緒 方洪庵浪華の事件帳』)

 

「緒方洪庵 浪華の事件帳」の舞台

1 本屋行司衆の守る「御文庫」が境内に建つ由緒ある神社。本屋加島屋殺害事件。章、男装の左近を初めて目にする。《禁書売り》
2 町奉行所与力屋敷地。「蘭学嫌いの石頭与力」こと大塩平八郎の役宅がある。
3 備中足守藩蔵屋敷。思々斎塾に入門する前の章が、父親とともに初めての大坂暮らしを味わった。
4 適塾。緒方章が後に洪庵と名を変え、開いた蘭学塾。弘化2年(1845)に瓦町より移転。
5 瓦町の適塾。緒方章が洪庵と名を変え大坂に戻った天保9年(1838)、初めに蘭学塾を開いた場所。7年後に過書町に移転。
6 京町橋の小料理屋〈亀七〉。〈在天別流〉の拠点の一つ。《木綿さばき》《蘭方医》
7 薩摩藩蔵屋敷。思々斎塾生川崎謙吾が暮らす。薩摩藩趣法方・調所広郷らの大坂での拠点。《証文破り》
8 中天游主宰の蘭学塾、思々斎塾。天游・お定夫妻、倅の耕介のほか、緒方章ら寄宿生を含む30名近くの門弟が蘭学修業中。
9 紀伊国橋にて、左近と章、少女おゆきの身柄をめぐって長州の侍と衝突。左近の身に悲劇が……。《北前船始末》
10 蘭方医日高良斎殺害事件。章と耕介、現場に居合わせる。《蘭方医》
11 松前問屋堺屋。北前船弁天丸の隠し荷をめぐる騒動に、左近が乗り出す。《北前船始末》
12 南御堂(東本願寺難波別院)近くで、中天游、異国の男から謎の手紙を渡される。《異国びと》
13 心斎橋筋。本屋が数多く集まる通り。章や耕介もよく歩いている。南に下ると呉服店「大丸」などの大店も。
14 九条村。中天游、抜け荷の一味に拉致監禁される。《蘭方医》
15 砂場蕎麦近くの問屋橋で、章、浪華講の案内人・高麗屋のお佐枝と初めて出会う。《禁書売り》
16 堀江新地の料亭〈山水〉。捕らわれた左近を章が助けに……。《木綿さばき》
17 四つ橋の近くで思々斎塾生富沢源次郎、薩摩藩士に襲われ、左近に助けられる。《証文破り》
18 小間物屋武蔵屋。〈在天別流〉の拠点の一つ。《名目金貸し》
19 神祇管領吉田家大坂用所。塩野主税、杉田一学らがここから楽家を訪れ、事件が起きる。《神道者の娘》
20 章とおいち、薩摩藩士に捕らわれる。左近と〈在天別流〉、島津家重臣調所広郷らと対決。《証文破り》
21 赤穂屋。外科の心得のある年齢不詳の白髪の男・赤穂屋が営む居酒屋。〈在天別流〉とつながりが深く、弓月、左近、若狭らがしばしば顔を見せている。《木綿さばき》《北前船始末》『浪華の翔風』
22 章と左近、料亭で食事。章が異国人の手紙の話を左近に聞かせる。《異国びと》
23 慈安寺大念殺害事件。章、おしん、お佐枝らが現場に居合わせる。《名目金貸し》
24 楽人町にある東儀家屋敷。弓月王(上総)、左近の兄妹が住んでいる。
25 高麗屋。四天王寺西門前の饅頭屋。〈在天別流〉の拠点の一つ。若狭、左近がいることが多い。
26 難波宮の時代より大坂を見守ってきた古刹。〈在天別流〉の本拠地。四天王寺雅楽を伝える楽所は、京都(宮中)、奈良(南都)の楽所とともに〈三方楽所〉と呼ばれる由緒ある存在である。

 

史跡めぐり

適塾・思々斎塾・懐徳堂

適塾正面。都会のオフィス街のなかに、江戸時代がそのまま残る。

適塾の東側。史跡公園として、小さな庭が造られている。

二階。三十二畳の大部屋。大勢の塾生が寝泊まりしていた場所。

大部屋の中央にある柱。塾生たちのつけた傷が当時のままに残る。

一階。中庭に面した、緒方洪庵先生の書斎。

一階。前栽に面した、書院風の客座敷。

適塾西側の公園にある洪庵先生の像。後ろに見えるのは適塾の物干し台。

客座敷の縁側から見た庭。

中天游邸(思々斎塾)跡。緒方章が学んだ蘭学塾は、江戸堀中公園に石碑だけ 残っている。

日本生命ビルの壁に埋め込まれた、懐徳堂の碑。大坂町人の「学校」がかつて ここにあった。

※1~8 撮影:kuroneco

四天王寺

四天王寺西門前の石鳥居から極楽門をのぞむ。(※「緒方洪庵シリーズ」に登場する高麗屋は石鳥居が見える場所にある)。

鳥居の扁額。四天王寺の西門は極楽浄土の東門に通じると言われ、扁額にも「極楽」「東門」の文字が。

四天王寺伽藍。中門、五重塔、金堂、講堂が南北一直線に並ぶ「四天王寺式」の配置。

四天王寺五重塔。緒方洪庵らが見た江戸後期の五重塔は太平洋戦争末期に大阪大空襲で焼け、現在の五重塔は昭和期に建てられたもの。

江戸時代から変わらぬ石舞台と六時堂。聖霊会の雅楽大法要がこの上で行われる。

石舞台の奥に左右の楽舎があり、法要時には楽人の奏楽場所として使われる。

六時堂。文化8年に移築。石舞台とともに、江戸時代のままの姿。

亀の池。石舞台は池の橋上にある。

亀の池はいつでも亀だらけ。

※11~18 撮影:kuroneco

水の都

土佐堀川と東横堀川の合流点より東側。天神橋をのぞむ。

土佐堀川と東横堀川の合流点より西側。奥には中之島公会堂が見える。

今橋の上から見る東横堀川。奥に見えるのは高麗橋。川の流れは道頓堀まで続く。

夕暮れの土佐堀川。越中橋から土佐堀橋をのぞむ。

薩摩藩蔵屋敷跡の石碑。越中橋近くにひっそりと残る。

※20~22 撮影:kuroneco