このエッセイは、2010年4月発行の「U7 Vol31」という、大阪大学他七大学合同同窓会誌に書かせていただいたものです。
「洪庵シリーズ」にも触れていて、いろいろと懐かしく。
ここに、再掲させていただきます。
「恩師を語る」
学生時代の私は、大学院に進んで研究の道を目指したい気持ちと、十代の頃から夢に描いていた小説家への道を諦めきれぬ思いとの間で、なんとも冴えない日々を過ごしていた。どちらにも明るい展望が開けているのならばいいのだが、両方とも前方には暗雲しか見えず、「きっと上手くいかない」気がして、悶々としていた。
小説家志望であることはゼミでは内緒にしていたから、当時の指導教官であった脇田修先生は、そんな私の悩みをすべて知っておられたわけではない。しかし、「大学院への進学を早くから希望していた割に、卒論の時期になっても何かに迷っているらしい」とは思われたようだ。あるとき、教授室に呼ばれ、「何を迷っているのか」と訊かれた。私は、そのときもやはり本当のことは言えず、「やりたいことを選んでも、うまくいきそうにない気がする」というような、曖昧なことだけを口にした。
脇田先生は笑って仰った。「そんなこと考えたってしょうがないでしょう。あなたは若いんだから、これから恋愛だってする。そうしたら、きっと研究が手につかなくなる。それでもいいんですよ、みんなそうなんですから」。なんでここでいきなり恋愛の話なんだろう、ときょとんとしたが、もしかしたら先生は、私がそういう方面で悩んでいると思われたのかもしれない。それにしても、卒論や院試を前にした学生に、研究が恋愛でおろそかになってもいいんだよ、というアドバイスをされる先生のおおらかさには驚いた。
さらに先生は、続けて仰った。「女性は結婚や家庭のことを考えると男性以上に大変です。でも、なんとかなるもんですよ。うちの奥さんだってやってますから」。脇田先生の奥様は、言わずとしれた中世史の研究者、脇田晴子先生である。そんな非凡な方を引き合いに出されたって平凡な女子学生は困ります……とは思ったのだが、それでも、ふっと心が軽くなった気がした。なんとかなるもんですよ、という一言が、すっと胸に入ってきたのである。なんとかなる……そう思ってもいいのだ、と前を向くことができたのだ。
その後、私は卒論を書き、院試に合格し、もたもたと研究を続けながら、大学院博士後期課程にまで進むことができた。在学中に、ほんの少部数の出版ではあったが、デビュー作の小説『浪華の翔風』を発表することもできた。小説のほうは、その後も続けて作品を発表する機会に恵まれ、昨年はテレビドラマ化もされた。NHK土曜時代劇「浪花の華」として放映されたのは、まだ大学院に在籍していた頃に書いた『緒方洪庵 浪華の事件帳』シリーズである。幕末の名医緒方洪庵の修業時代を取り上げ、学問を志す若者の青春を、当時の大坂の状況をおりまぜ、男装の美女剣士も登場させて伝奇風の味付けを加えて描いた作品だ。
緒方洪庵を教え導いた師匠中天游も、主要登場人物の一人であるのだが、実は作中の中天游、恐れ多いことながら、秘かに脇田先生をモデルにさせていただいている。中天游を調べるうちに、妻のお定が天游と同じく名高い医者であったことが判り、「夫婦で同業者で有名……脇田先生ご夫妻みたい」と思ってしまったのだ。となるとどうしても、物語のなかの天游像も影響を受けてしまう。同時に、洪庵が学んだ思々斎塾は、私が学んだ脇田ゼミに、どこか似た場所になった。正直に言えば、院生時代の私は自分の所属する研究室での生活をあまり楽しんではいなかったので(そもそも、まわりがみな研究者を目指しているなかで、一人だけ心秘かに小説家を志していたのだから、居心地が良いほうがおかしいのである)、思々斎塾は、楽しいだけの場所にはならなかった。しかしながら、悩みも迷いも大きくあたたかく見守ってくれる師匠のいる、おおらかな学問の場になった。
脇田先生には、「浪花の華」の時代考証でもお世話になった。原作者も時代考証担当者も撮影には立ち会わないため、ドラマの現場でお会いすることはなかったが、思わぬ形で再び先生とご縁がつながったことが嬉しく、つい浮かれて、監督さんとの打ち合わせの席で「実は中天游のモデルは脇田先生」と漏らしてしまった。もちろん、「先生には内緒で」と言ったつもりだったのだが、後に、先生とご一緒させていただいたドラマのトークイベントの会場で、大勢のお客さんを前に「実はここにおられる脇田先生は……」とばらされてしまい、大いに慌てた。が、先生は、にこにこといつもの笑顔で受け止めてくださった。だったらもう秘密にすることもないやと思い、こうしてここに書いている次第である。
脇田ゼミにあのおおらかさがなかったら、きっと私は小説家への道を諦めていただろう。なんとかなるもんですよ――今でも私は、生き方に迷ったときには、あのときの先生の言葉と笑顔を思い出すのだ。
脇田修先生のご冥福をお祈りいたします。