古代マヤ暦が区切りを迎える日だとかで、人類滅亡ネタが世間を騒がせているようですが。そういう話を聞くと私は、「ノストラダムスの大予言」に騙された自分の過去をなまあたたかく思い出します。

子供の頃、信じてたってわけじゃないけど(そんなの嘘に決まってるわ、というような子供ではあった)、ホントはとてもとても怖かったし、1999年7月には私はいくつになってるだろうと、何度も計算したりしました。友達が、かの老舗オカルト雑誌「ムー」の愛読者で、いろいろ貸してくれたり教えてくれたりしたのも影響大だったでしょう(私は正直、あの雑誌怖かったです)。

そんなアレコレを忘れ去るくらいの年齢で迎えた1999年7月に、私は心のどこかで、ホントに恐怖の大王が降りてくるんじゃないかと思ってました。何もなく7月が終わってしまったあとも、「あらら」と思いつつ、まだしつこく、「とかなんとかいって、年末までには降ってくるのでは」と、心の5パーセントくらいで、思ってたみたいでした。何事もなく2000年がやってきたときに、なんだかホントに拍子抜けして、そこで私は、自分の脳味噌の根っこの一部が、結構マジに、予言を真に受けてたんだと気付いたのでした。何十年がかりかの詐欺にあっちまったんだと、やっと、子供の頃の自分を納得させられたというか。

その、自分の「なーんだ、嘘か」感に自分でびっくりして。「おいおい、お前、ホントに本気にしてたのかよ。そりゃないだろ」みたいな。でも、びっくりしたんだよなー、ほんとに。何もなく西暦2000年を迎えたことが、ほんの少し信じられていない自分がいたことに。……だから、滅亡の予言の刷り込みというのは、結構、洒落にならんなと思ったりします。まあ、私みたいなバカが世間にどのくらいいたのか判らないけど。

でも、80年代って多かったと思うのですよ。1999年に人類が滅亡することを前提として始まる近未来ものの物語。私は、身近な物語があまり好きになれない子供で、ファンタジーだの近未来SFアクション系だのが好きだったので(十代の頃は、自分で書くのもそういうのだった)、なんだかもう、世紀末に人類は滅亡するのが脳内のどこかで前提だった。
そういえば、アルフィーさんにも、「AD1999」って歌があるよなあ。「もしもこの世に終わりがきて……」っていう歌(大好きです)。1999=人類滅亡、と発想が直結してた時代なんだよなあ。いやいや滅亡っていったら「今日」でしょー、と思うひとが、今は多いのかなー。

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