寒さがやや緩んでいる今のうちにと、昨日から大掃除をしています。
高所にある、はめ殺しの窓を、モップのばして無茶な体勢で拭いたせいか、夜になってじわじわと筋肉痛が。去年の暮れは窓ふきサボったので、汚れがひどくて大変だったのです……。
この時期になると、どうしても「今年一年を振り返る」気分になりまして。改めて思うのはやっぱり、「今年も一年、長かった」です。一年前と今とでは、気持ちのありようが、かなり違う。変化の過程を一つずつ思い出すと、今年もホントにいろいろあって長かった。東京に行くということが、あれだけハードル高かかった上半期に比べ、こないだは「ちょっと上野行ってくる」と思いついたのが出かける数日前だった。身軽になりました。昔に戻ったみたいに。一年前には、まだいろんなことに竦んでいたなと思います。
あの秋から五回目の年の瀬ですが、丸三年と丸四年では、かなり違うようです。二年目くらいから、「もう大丈夫になった」とずっと思い続けていますが、一年前の自分を思い出せば、三年目の大丈夫さと四年目の大丈夫さは全く違っていて、つまるところ三年目の私は思うほど「大丈夫ではなかった」んだなと気づきます。だから、なんていうかな、今感じるのは、まだまだ私は大丈夫になっていくだろう、ということです。来年は、きっと今よりもさらに、何かが回復して、「大丈夫」度が高まっていくんでしょう。そのことを実感として感じられたので、積極的に新年を迎える気になりまして、窓ふきをしています。
五月頃に、一人で出かけたんです。学生時代に行ったことのある場所に。行く前は怖くて胃が痛くて眠れなかったりしましたが、行ってみれば懐かしくて楽しかった。その後くらいからか、どこへ行っても、「ああ前にここに来たときは一緒で幸せだったのに」と思って沈むことが減っていったような気がします。冷静に考えれば、四年前より以前にずっと幸せだったわけではないのですが、なんかこう、思考がそこから動かないというか、どうしても頭の根っこが常にそこから出てこないというか。この数年、東京に行くのが嫌だったのは、絶対にそう感じてしまうだろうと思っていたからで、実際、六月に行ったときにはまだちょっと、そんな感じで、あれこれ思い出す暇がないように予定を詰め込んで動きまくったのですが。今月の初めにふらりと行ったときは、割と気楽でした。貧乏性なので、やっぱり予定は詰め込みまくりましたが。一人で出かけても、出先で何か地雷を踏んで一人でずぶずぶ思考の泥沼に沈むのではと恐れることを、せずに済むようになりました。
……同じような辛さを抱えているひとに、少しでも「そういう考え方もあるか」と思ってもらえたらいいなと願って、今の時期に新刊の話じゃなくて辛気くさいなしかもクリスマスにと思いつつ、だらだら書いてみました。私自身、見も知らぬ、でも同じ立場になってしまったひとのブログなどに、こっそりいろいろ助けられました。対面で同じ立場のひとと集まって語り合うというグリーフケアもあるようですが、私はそれはたぶん合ってないと思って選びませんで、その代わりに匿名のネット上の言葉に助けられました。
ゆっくりとでも回復するんだなということを実感するのにも、四年かかりました。まだこれから、五年目、六年目のいろんな感情があるんでしょう。いろんなことを知るんでしょう。とてもゆっくり、時が進んでいます。