舞台「未来記の番人」の感想、です。
今更なのか、と自分でも思いますが、書いてはいたのです。
もっとキレイにまとめてUPしようとか、迷いがあって、そのうちに、また体調が悪くなったりしまして。
でも、WEB上にあげないと、絶対にあとから自分が後悔するので。今更でもいいから、UPします。
その前に、感想と関係ないのでちょっと迷ったのですが、コロナ禍、同じような思いをしているひとに伝えたいことでもあるので、まず、書きます。
私、コロナ始まってから、老親の介護に他世帯の人の手を借りるわけにはいかない、高齢の親への感染をふせぐために、人と接触しない仕事をしている私が一人でなんとかしよう、コロナがおさまればまわりに助けてもらえばいい、と思い込み、ワンオペ介護をし続けて、結局、介護鬱で倒れました(「未来記の番人」おわるまではなんとか意地で踏みとどまった。ツラい日々の希望でした)。
同じように、コロナ時代にワンオペ介護、ワンオペ育児などで追い詰められている方。どうか、どうか、外に助けを求めてくださいね。倒れてからじゃ遅い。「コロナで助けに行けないほうもつらいんだ」とか思わなくていいから、今の時代、遠隔で助ける方法、いくらでもあるから、積極的に要求して助けてもらうべき。今、後悔してます、強く強く。
今は、外部の介護の手に入ってもらい(その手配をするのもまた大変で、これは別居の家族がととのえてくれた。こういう具体的な手続きが一つ一つ本当に大変なんですよね……)、私も治療やカウンセリング受けつつ仕事してます。
新作も書いているし、「克次」新装版のゲラも進めています。
「未来記」感想も、やっぱりUPしなきゃと、思いました。
なので、書きます。
あ、そういえば、YouTubeに公式の舞台の動画出てますよね。英訳のタイトルについて意見を求められたりしたやつですね。見るとしみじみかっこいい。
さて、感想です。
まず、千里丸と士郎左のこと。
千里丸。戸塚祥太さんの千里丸は、私が書いた千里丸より明るくて、こじらせ方の方向が違っていて、士郎に対しても、「おれはお前を友だと思ってるんだ!」と素直に告げていて、「コミュニケーションしようぜ!」と精一杯に近づこうとしていて。自分の生き方を変えようと思ったときにだって、「一緒にやらないか」と語りかける。それだけに、「こういう千里丸でも、士郎左と別れない未来がつかめない」ということが悲しくて、どうしてお前らそうなるんだ、なんでわかりあえないんだ、なんでわかりあえたと思ったら死ぬんだ、と、なんども、なんども、見るたびに、思っていました。
士郎左は、千里丸より、私の書いた士郎左に近い気がします。自分に異能があればこうしただろう、ということから、千里丸が逃げている(ように見える)、それが理解できないし、したくない。桜をなくしたことが、その苦しみをより大きくしている。舞台の士郎左は特に、目の前で桜をなくしているので、よりいっそうつらいのだろうなと。桜が斬られたとき、とっさに桜を抱き上げる仲間に対して、士郎は、桜を斬った奴を斬りにいく。それが、松田さんの士郎左(動線の関係で必然の動きだったとしても)。そして、なおも、千里丸を助けるという使命を忘れなかったけれど、たぶん、そのことにあとからものすごく苦しんだ、そういう士郎左。「恥とは思わんのか!」の叫びが、とてもとても重い。重すぎて、そのセリフ私が書いたんだっけと思って、自作チェックし直してしまったくらい重い。そして、最後は、千里丸を守って死ぬ。
千里丸も士郎左も、確かに私の作ったキャラクターなんだけれど、演じるお二方に命を吹き込まれることで新たな可能性を持つことになった男たちで、だけど、やはり同じところにたどりつく。原作者としては、そりゃあ同じところにたどりついてもらわないと納得できなかっただろうとは思うのだけれど、別の未来を見せてくれたって良かったじゃないかとも思ってしまう、そんな不思議な二人でした。
……禁じ手なんですが、脳内で、戸塚さんの千里丸が島原に行ったら松田さんの士郎が待ってたりして、お前死んだんじゃなかったのかって言うような、そういうルートを、どうしたら可能かなって、思ってしまいますね。しつこくね。だって、舞台のオープニングで、幼なじみの二人が里で手合わせをしているようなシーンで、あの士郎左が笑うんですよね。屈託なく笑う。そんな二人を、また見たいじゃないですか。千里丸の「はやく言えよ」がなあ。ホントにはやく言ってほしかったんだろうなと。柿のことだけじゃなくて、いろんなこと、はやく言えよ、と。だったらもっとわかりあえたんじゃないかと。だけど、士郎がいえなかった気持ちも、あのときの千里丸にはわかっていて。その切ない「はやく言えよ」がなあああ。
死なないでほしかった。
もう、それにつきる。
士郎の刀なんですが。私、千里丸が「この刀は士郎の魂だから」島原へ持っていく、というのは、士郎の魂に島原をもう一度見せる、ということであって、島原に置いていくつもりだとは解釈していなかったのですが、一緒に見たひとの意見をきくと、置いていく解釈のひとが多いような。そうなのかな。それもいいけど、今後も持っていてほしい派です。置いていくとは明言してないし、こっちの解釈もありで!
二人のシーンは、どれも好きで、重くて、つらくて、素敵で、どこがどう好きって一つずつ言えないくらいで。結局、全部になるから。
私の作ったキャラをなぞるように演じるのではなく、新しい可能性の存在を見せてくれてありがとう、というのが、舞台版の二人への、原作者としての気持ちです。そのことによって、私自身、自分の小説と新たな気持ちで向かい合うことができました。
私のキャラそのままではなかったけれど、「そのキャラ解釈は私の思いとは違うなあ」と感じることもなかった、舞台版の二人。
私は大好きでした。
ひとまず、ここまで。
お二方以外の感想も、続けて、UPしたいです。