そして、ストーリー展開を知らない方にとってはネタバレなんですが。
前の記事で言葉足らずだったかなあと気になっていて、というか、見た直後に舞台の関係者の方にも思わずそう言ってしまったのですが、言葉遣い間違ったかなと気になっていて、つまり、士郎左のシーンが、すごくよくて、だからめちゃくちゃつらくて、これを言ってしまったらおしまいなんですが、私には、私にだけは、その未来を変える手立てがあったので。なので、どうしてそうなってしまったんだろうと、そっちじゃない未来はなかったのかと。
ああなってほしくはなかったなあ、とくに、松田さんの士郎すてきだったから。ああなるからこその士郎ではあるのですが。むずかしいな、これ。ほんまに。というか、なんで「そうならないバージョン」が存在したかというと、「そうなる」ことは最初から決めてたのだけども、自分でつらくてかけなかったから、逃げたのですよね。でも、やっぱり、それじゃ士郎左というひとが完成しないし、なので、ああなるしかなかったんですが。でも、見たらつらくて、なんでなんだよと。
なんか、すみません。
舞台を見たら、書いていたときの葛藤がよみがえってしまいました。
舞台版の士郎左、すてきでした。