刀を見に行っています。京博に。今の特別展示「京のかたな」を。
比較的、近いところに住んでいるので(三島の佐野美術館は泊まりがけで通いましたから、それに比べれば!)、時間の隙間を見つけて出かけます。前期は3回行って、後期も今のところ3回。あと1回ぶんはチケットがあるので必ず行きます。それが最後かと思うと寂しい。

刀を真面目に鑑賞しはじめたころ、好きだったのは備前刀で、佐野美に通うようになったきっかけも、「映りがちゃんと見られるようになりたい!」でした。それから、今年の冬、門司港に大倶利伽羅を観に行って、博多でへし切り長谷部も見て、続きで佐野美の上杉展も見て、そのあたりで、相州伝いいな!と。

今、京博でたっぷり眺めて、来派いいなああと、思っております。もともと明石国行という太刀が大好きで、代々木時代の刀剣博物館にも三回くらい見に行ったし福山にも行ったしで、明石が出てきたら会期中に一回は行く!と思ってるんですが、今回、京博でたっぷりたっぷり眺めて、やっぱり好きだなと。今回の展示では、来派の名刀がたくさん出ていて、どれも美しかった。

金沢に観に行き損ねてずっと悔やんでた前田藤四郎も見られたし。足利で山姥切国広を見たあとで改めて見ると、本作長義(以下略)が「写しとあんまり似てない!」と驚きました。あと、桑名江が好きです。今回の展示でピンポイントのお気に入りといえば、これかも。

去年一年間、佐野美で刀を勉強して、何が身についたかっていうと、人に言えるほどのものは何もないんですが。でも、一つだけ。たくさんの刀と、たくさんのそれを見るひとのなかにいて、雑音と雑念が入ってきても、目の前の刀を見て「私はこれのここが好きだな」と素直に感じられてぶれないようになった、ということ。たぶん、佐野美に行く前の私は、刀を前にして、横から誰かが語る言葉が耳に入ると「そうは思えないけどそう思うのが正解なのかな。そう思えないとダメなのかな」と思ってしまっていて、それがとても自分で嫌だったのです。自分の好みが出るほどに刀を見なれていないので、自信がなくて。

そして、ああこれはきっと、一度、自分で納得するところまで勉強しないと、消えないんだろうなと。

今は、刀を見て、それを語る言葉を専門家のように正確には紡げなくても、これのここが私は好き、ここがカッコいいと思う、この刃文が好み、この形が好み等々、肩の力を抜いて思うことができるので、展示を見るのがとても楽しいのです。

……これ、夏に書いた、舞台の話と根っこは同じですね。慣れないジャンルに入ってわからないことだらけで自信がなくて語れなくて、そういう状態が自分ですごくもやもやする。だけど好きだから、なんとか語れるようになりたい。自分なりにできることをやってみる。何か成果があったわけじゃないんだけど、自分なりにがんばったなと思ったあるとき、吹っ切れる。で、語り出す。なんだよ好きなんだからいいじゃないかーつって。

まあ、だいたい、いつもそんなふうに生きています。

あ、ゲームの「刀剣乱舞」は引き続きやってまして、上記の長義さんを手に入れて愛でています。あーなんか心が疲れたなー、というときに、刀の図録を読みながらポチポチと刀のレベル上げしてるとほっとします。ちょっと最近、ドラマチックなものを摂取するのに疲れてしまって、刀(実物)のように、向こうからは積極的に語りかけてこなくてひたすらこちらからのぞき込むものとか、淡々と戦ってるとレベルがあがって刀(ゲーム内の)が強くなっててちょっとうれしいゲームとか、そういうのがやすらぎます。

疲れていた理由は割とはっきりしていて、デビュー作シリーズの新作を、まさか今になって書くとは思っていなかったエピソードを、20年前に作ったときには裏設定でしかなかったものを、6年前に心身の不調でもう限界だと思って伏線張ったところで断腸の思いでやめた話を、書いたからです。めちゃくちゃ楽しかったけどめちゃくちゃ疲れました。本のカタチになるまでに、あと少し、お待ちいただければと思います。今回も表紙が楽しみです。

疲れたとか、そういうことをこうして書けるようになったのは、回復した証でして、今は再び新しい世界に戻って書いています。楽しいです。

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