アルフィーさんの歌に「Another Way」ってのがあって、もしも別の生き方をしていたらどうだったかなー、なんて考えつつ前向きに人生に向かっていくような、そんな歌なんですが。
この一ヶ月くらい、なんだかずっと夢のなかにいるみたいで、常に「今のこの時間が、実は全部夢のなかで、目がさめたら私はあの福井の家にいるんじゃないのかな」なんて気がどうにも抜けず、ぼんやりしてました。今、目の前にあるのが、リアルではない「Another Way」なんじゃないか、というような。たぶん、すごく気持ちが急に穏やかになってしまったことに、自分でなじめなかったせいだと思います。年明けから、なんだかやけに気持ちが和んでいて、ね。でも、その和み加減にどうにもリアルさがないというか、一枚ベールかぶった気分というか、これが本当であるはずないんだけどなー、というか。
まあ、でも、ライブ行って天王寺行って、お友達とたっぷり喋って、やっぱりこっちが現実なんだろうなと。
そんなことを思いながら、一年前から師事している習い事の先生に、家庭環境を偽ってるのも辻褄合わなくなってきたんで、いや実は言いづらくて内緒にしてましたけど、これこれこういう事情で郷里に戻ってきたんで、ずっとここで暮らしてたわけでもないんですよねー、って思い切って打ち明けたりしまして。そうすると、また一つ、自分のリアルがこっちなんだなと気持ちが落ち着いた気がしました。なりゆきとはいえ、別の自分になりすます、というのは、案外、精神的に良くないことなのかもしれないです。
話題にしたくなくて、へらへら笑って核心に触れずになごんじゃえーとごまかしちゃうせいで、自分自身の現実まで曖昧になっちゃってんのかな、とも思い始めた。ごまかしたって現実は現実。自分で自分をごまかすのにも限界あるぞ、と。たとえば、フィクションと接するときでも、自分の傷にダメージきそうな物語に直面した場合に、「いやいや、別に私そういうの、もう全然、平気だし」って思って気持ちに一枚膜を張ってへらへらしてんのって、実はあんまりよくないんですかね、グリーフケア的に。そのへん、ちょっと勉強したほうがいいのかも。また、私の好きな作品て、基本的に人死に多いんだな。「ヤマト」だって「009」だって死屍累々だし、「進撃の巨人」とか夜中に見てる場合じゃないんかもしれん、ホントは。好きは好きだし、そういうのとこういうのは別モンで考えたいんだけど、そうもいかない精神状態っていうのもあるのかもしれん。まあ「進撃の巨人」は普通に見ててもダメージ受けそうな絵面が多いですが(なんつっても人が捕食される話なわけで。……でも今さら見るのやめられん)。
まあ、そんなこんなで、改めて、現実に足を踏みしめることを考え直しています。夢かもしれないー、なんてのは、判りやすい逃避ですから。アルフィーさんの歌でも、それでもやっぱり今の道しか選べないんだよね、と語りかけているし。
やっぱりアルフィーさんの歌は良いです。いろんなこと考えさせてくれて、最終的には前向きになれます。