そろそろ一年のまとめに入ろうかなと思い始めました。ブログ記事的に。
今年は、仕事の量が少なかった年でした。二月に左近、十二月に十一屋、出せたのは、その二冊だけ。その点は、悔いが残ってます。出した本に関しては、もちろん、悔いはないです。出せなかった本に関しても(書いたけど本にならなかったもの)、悔いはないです。……来年は量的にもっと書きたい。今の暮らし、やっとペースが掴めてきました。
去年の今ごろと比べれば、びっくりするほど穏やかに暮らせてます。あれからまだ一年しか経っていないことに驚いてしまうほど、今年もやっぱり、長い時間でしたが。でも、今年の十月くらいから、意識が外に向くようになって、何かのきっかけで揺り返しが来てまたダメになるのではとびくびくする感じが、落ち着いたかなと。……まあ、グリーフケア的には、揺り返しを何度も経験しながら立ち直っていくものらしいんですが。
この二年、本当に、友人たちに助けられながら生きていました。「ともかく生きろ」と繰り返してくれたひと、普段通りに遊びに誘い続けてくれたひと、何かと相談にのってくれたひと、落ち着くまでそっとしておいてくれたひと、やっと勇気が出てこっちから声をかけたら昔どおりに接してくれたひと。なんかもう、あー私が逆の立場だったらこんな優しさも強さもなかっただろうなと、おろおろしてしまうほど、良い友人が私にはたくさんいました。……ありがとう。本当に、感謝しています。
一年と少し前から、育った町に帰ってきて暮らしてるんですが(生まれた町ではないです。小学校時代に引っ越してきた町)、その町で、中学時代の同級生と、ホントに久しぶりに会ったのです。夏のことでした。町を離れている友人もお盆で帰ってくるし、地元組も帰省組も一緒に会おうよ、ということで、十八年ぶりくらいに中学時代の仲良し五人組で集まったんです。結婚したころに、一度、一緒に旅行に行ったので、それ以来のこと。なんかもう、感無量でした。中学校の教室で毎日一緒に笑ってたあの仲間が、またこうやって集まれるんだなあって。地元に帰ってきてよかったと思いました。
なんていうか、私、あまり「ふるさと」という感傷が好きではなくて。いろんな町を経験するなかで、いま住んでいるところを常に大事に思い、そこを愛すればいいんだから、「ふるさと」って言葉自体、なんか視線が過去に向いているようで後ろ向きで嫌だなと。前に住んでいた町は、行政が「ふるさと○○」って町の枕詞みたいに使っていて、それが好きじゃなかったので(少なくとも私にとっては「ふるさと」ではないわけで、愛情を拒まれてるような気がする)、当時、委員をやっていた行政の会議の席で文句言ったこともあったんですが、残念ながら、あんまり判ってもらえなかったですね、こういう感覚。
……たぶん、私のそういう感じ方は小説にも現れていて、特定の町への偏愛ばりばりみたいな主題でモノを書いている割りには、私の書くキャラってのは、土着性が高くないと思います。……ていうか、私が大坂を好きなのは、余所者の目からみて面白い町やなあ、と思ってるからで、郷土愛じゃないんです。町への愛=郷土愛、のくくりが嫌だから、「ふるさと」すばらしい、みたいな言説が苦手。
そういうわけで、傷ついてふるさとに帰ってきてほっとする、というシチュエーションは、自分のこととして考えるとあんまり良い気分じゃないんですけど、でも実際、今年の私はそうだった。めっちゃほっとしたし、めっちゃ元気が出た。中学時代の友達って、もう、バカでどうしようもなかった頃のことがばれてるので、すごく気が楽なんですよね。取り繕いようがない。あんなこととかこんなこととか覚えてる相手だと思うと、どうしようもない。それがいいんだよなー、と思います。
……あー、こういうのが、年とったってことなのかなあ。
いつかまた、この町を離れることがあるのかないのか判らないけど、まずはこの町で、もう一度、生きていきます。