習い事初回、無事に終わりました。疲れた-。先生には、「緊張してますね」と何度も言われてしまいました。
ある小さな目標があるんです。雅楽で例えると、蘭陵王という曲に惚れ込んで、それを演奏できるようになりたくて習い始めた、みたいな感じ。でも、実際には、蘭陵王を吹くよりも前に普通は越天楽とか習うだろうし、そもそも基本の音をきちんと出せるようになるのが先でしょうし。
「やってます」と言えるようになるまでにも一年くらいはかかるでしょうし、その前に挫折するかなー、とも思ってる。でも、五年後、それなりに楽しんでやれるようになっていたらいいなあ。
なんていうか、この習い事について考えはじめて、本当に久しぶりに、「未来」に向かうことを意識にのせられるようになりました。思えば、この一年くらい、小説を書くときも、「どうやって作家生活を終わらせるか」ばかりを考えていた気がします。終わること、しめくくることにしか意識が向かなかった。何度かここにも書きましたが、普通に考えて数十年ぶん想定しておかなければならない未来、というものが、全くぴんとこなくなってしまっていて、「今、終わっても悔いがないように書く」という面からしか、ものが考えられなくなっていました。
前提が常に、「終わる」こと。「続けること」ではなくて。終わるときのために、今どうするべきか考える。……まあ、その考えも悪いものじゃないし、それによって得たものもあるのですが、でも、この十日ばかり、始まっていく方向、続いていく方向の自分も実感できるようになっていることに気づいて、そこで初めて、ホントに、ただ終わることだけ見つめてたんだなと、改めて感じたのでした。自分の人生がまだ終わらないんだ、ということを前向きに受け入れるのは、それはそれで時間のかかることのようで。
こんなことをうだうだと書くと、また後から嫌になるのかもしれませんが。まだ、暮らしも心身も落ち着くところまでたどり着いてない。今後どれほどかかるかも判らない。それでも、それもコミで暮らしていけるようになるまで、なんとか乗り切りたいです。小説も、書きます。書いてます。