物語や歌やスポーツや……そういった「娯楽」と呼ばれるものが、辛い気持ちでいるひとを救うことはあると思います。そういう話をひととすることが、今はやはり多いです。

震災とは関係のないところで、私は去年からずっと奈落の底にいるので、「つらいときでも娯楽に救われることはある」と自信を持って言えます。少なくとも自分はそうなので。歌に励まされたり、スポーツ選手の姿に元気づけられたりしているので。

それでも本当につらいときにはどうしたらいいんだろうとも思いますが。

私には、ひとつ決めていることがあって。どうしてもどうしても辛くてしかたない時が来て、歩みを止めるための不自然な選択が脳裏をよぎるようになったら、そのときには小説を書こう、と。気力体力の続く限りぶっ続けで小説を書いて、自然に倒れるのを待とう、と。そのときには、いちばん書きたい小説から順番に書いていくつもりです。約束をしていた出版社さんがそのときにあったなら、ゴメンなさいと謝って、ひたすらに好きなものを好きなように。

たとえばそれは、あやと弓月が再会する話かもしれないし、左近さんが誰かと結ばれる話かもしれない。あかねや甲斐の話かもしれないし、宗介さんの話かもしれない。まったく新しいキャラの話ってのもある。……というか、誰かが「この話がすき。この続きが読みたい」と言ってくれたら、それを書くだけかもしれない。自分が書きたいものよりも、誰かが楽しみに思ってくれるものを書きたい。誰かに「読みたい」とひとこと言ってもらえるだけで舞い上がるだろうな。

なんだかまた、酔いに紛れたみたいなことを書いていますね。あとから消したくなるかなあ。

ときどき、誰のために何を書くのが正解なのか判らなくなるのです。限りある時間とエネルギーで私は何を書いたらいいのか。自分のためなのか、誰かのためなのか。「自分のため」が最終的な正解だと思いもしたけど、プロの作家ってそれではいけないのかもしれない。

でも、できれば、私の小説を好きでいてくれる誰かのために書きたいなあ。どんなときでもこのひとのためにと思っていたひとがいなくなってから、私は「誰のために書くのか」判らないままなのです。その答えが見つからないと、すごく困る。だから、今、すごく困っています。誰のために、何を書いたらいいんだろう。

仕事なんだからさくさく書け、という考え方もあると思うのだけど、そうじゃない何かを小説に求めたいときもあると思う。それが、私には、「今」です。

誰かが私の小説を楽しんでくれるといいのだけれど。本当に、いいのだけれど。

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