大阪文化祭参加 天王寺楽所・雅亮会 第35回 雅楽公演会
2001年11月16日(金)午後6時開場 6時30分開演 大阪肥後橋・フェスティバルホール
演奏曲目
第1部 管絃
壱越調音取(いちこつちょうのねとり) 酒清司(しゅせいし) 新羅陵王急(しんらりょうおうのきゅう)
第2部 舞楽
振鉾(えんぶ) 蘭陵王(らんりょうおう) 胡徳楽(ことくらく) 桃李花(とうりか)
退出音声(まかでおんじょう) 長慶子(ちょうげいし)
演奏・天王寺楽所雅亮会
主催・天王寺楽所雅亮会、朝日新聞社
後援・大阪府、大阪市、大阪府教育委員会、財団法人大阪21世紀協会、四天王寺、天王寺舞楽協会、住吉大社、朝日放送
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つきやまにとっては、三度目の公演会でした。
演奏曲目は、桃李花と長慶子。 去年は長慶子一曲だけだったことを考えれば、かなりの進歩です。
なぜなら、桃李花には、調子が、セットでついています。 舞楽において、舞人が登場するとき、退場するときに、それぞれ、演奏される曲です。
調子。 それは、とんでもなく難しい曲です(←私には)。 初めて触れたのは、初級2(お稽古2年目)の半ばあたりだったでしょうか。
笙の演奏とは合竹(和音)を奏でることだと思い始めていた私にとって、叩く、打つ、具す、残す、など、指を一本ずつ複雑に動かさなければならない調子の出現は、衝撃的でした(←やや大げさ(^_^;))。
それまで、途方もなく難しいと思っていた、楽譜にして3行ある太食調音取(たいしきちょうねとり)。それよりも、もっとややこしい曲が出てきてしまったのです。
「調子(黄鐘調)は、4+2で6行もある!(しかも繰り返しがつく……)」
楽所のシステム上。 普段のカリキュラムと、公演のための特別練習とは、別枠になっています。 練習生のなかには、公演に出ない人もいるので(中級以上には出演の機会が与えられますが、当日身が空かないなど、個人的事情で出演できない方も多い)、普段の練習に、公演会曲は組み込まれないのです。
練習所できっちりと伝授してもらう機会もない、黄鐘調・調子。 それを、特練の場で、突然、正会員の上手な方々に混じって吹けと言われても。
しかも、何と言っても、遠方雅練生の身。 週に一度のお稽古ですら、毎週はとても行けない状況だというのに、週に二度以上、特練にまですべて通うことなんて、ほぼ不可能です。 9月から始まっていた特練。 私が参加しはじめたのは10月に入ってから。 「ああ吹けない。どうしよう」 焦りながら、公演までの日を過ごしました。
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当日。 出演者は午後1時に楽屋入りです。 2時からのリハーサルに備えて、狩衣に着替えます。
女性の楽屋は地下。同じ部屋に、二十人ばかりはいたでしょうか。 襦袢をつけ、白衣を着、浅黄色の袴をはきます。すでに四度目だというのに、まだ袴のはき方が下手で、会員の方が見かねて手を貸してくださいます。
狩衣まで着ると、笙をあたためるときに動きがとりにくくなるため、白衣と袴だけで、いったん着替えを中断し、笙をコンロであぶることに。
狭い楽屋に大人数で、ただでさえ熱いところに、電熱のスイッチが入ると、熱気がいっそうこもってきます。外は肌寒いくらいだというのに、汗ばむほどです。 「冷房つけたい」 リハーサルは、第2部の舞楽から。 本番では見られない演目。見る機会はリハーサルのときしかありません。 笙あぶりを中断し、手早く狩衣をつけ、客席に。
蘭陵王はすでに始まっていました。
お稽古のときに、何度か見てはいます。 ですが、それは、普段着の蘭陵王。 想像してみてください。 あの派手な仮面と衣装の舞を……普通のおじさんが普段着で踊っているわけです。はっきり言って、まったく別物です(←はっきり言い過ぎ・汗)。
フル装備での舞姿。 毛縁の裲襠装束(りょうとうしょうぞく)に、金色の仮面。
「おお、これこそ蘭陵王」。
やっぱり、良いです。 すごく好きなんですよね。
美形過ぎるため戦場に赴く際には仮面をつけていたという伝説の王の舞。
動きのすべて 特に飛ぶような動作が、あの豪華で重たそうな装束をまとっているにも関わらず、普段着のときとまるで変わらず……いえ、逆に軽々と見えます。不思議なくらい。カッコイイ。
続いての、胡徳楽。 酔っぱらいダンサーズが登場する笑える舞です。
練習所のお稽古中、会員の方が雑談でおっしゃっていました。 「面を着けずに練習しているときは、照れが入ってなかなかできないようなアドリブも、面をつけて誰か判らなくなると、、急に大げさになってくるから……」
酒をついでまわる瓶子取。酔いが回ってよろける足下。早く自分のところにも注ぎに来いとせかす客人。酔っぱらって踊り出したあとも、杯を干した拍子に仰向けに転がったりとマメに笑いをとります。退場も、当たり前にはいかず、管方にちょっかいを出したり、太鼓の音に驚いて飛び退いたりと、いそがしい。
途中で、桃李花の演奏のために笙をあぶりに行かなければならなかったハズが、結局、最後まで客席で見ていました。
そして、いよいよ、桃李花。 出番です。
初めて舞台上の位置につきました。 とにかく、リハーサルでやらなければならないのは、楽譜の位置の確認。お稽古の時は普段着、というのは、管方も同じ。狩衣を着るのは、当日だけです。
まだ数回しか袖を通していない狩衣は、布地もごわごわで、少し袖を動かしただけで大きくふくらみ、楽譜が隠れそうになります。何度も構えてみて、とにかく、見える位置に楽譜をキープ。右方の位置で、客席から見えるのは基本的に左側だけ。右手の袖は思い切って脇に畳み込み、多少みっともなくても楽譜にかぶらないことを優先することに。前の列のひとにも、構えるときになるべく袖を振らないようにお願いしておきます。前のひとの袖で楽譜が隠れることもあるのです。
演奏が始まりました。 笙の主管が調子を吹き始め、ついで、右方の笙が入ります。練習通りに構え、吹き始め……そこで気付いたのは、隣の方の動きです。
私は、右方の笙のなかで、最後列。 隣は、篳篥の方です。 となると。
吹き始めるタイミングが違うんです。 私が吹き出しても、しばらく篳篥は動かない。当然、隣の方もじっとしている。
……も、もしかして、この方には、ダイレクトに私の演奏が聞こえているんじゃあ。
青ざめました。恥ずかしくないように、間違えないように、完璧に吹こうとは思っていても、所詮は「その他大勢の中のひとり」。多少、ずれても、誰にも聞こえないし……という甘えがありました。
だけど、ここにひとり、確実に、私の音をダイレクトに聞いている(かもしれない)ひとがいる。
どうしよう、どうしよう。間違ったら判ってしまう。
そう思うと、だんだん、音が弱くなります。間違えるくらいなら、吹かない方がましかも。
曲に入ってからも、焦りは消えません。本来なら、笙のほうが、先に音を出さないと行けないのに、篳篥の音をさぐるように入ってしまう。こんな笙の音に合わせるんじゃ、隣の人はさぞ、やりにくいだろうな……。
恥ずかしくて、曲が終わったあと、隣のひとの顔を見ないようにして去りました。 ああだけど、本番も同じ席で吹かないと行けない(←当たり前)。 嫌だなあ……隣が笙のひとでないことが、こんなにキツイと思わなかった。
まいったなあと思いながら、楽屋に戻りました。
いったん洋服に着替え、休憩&お弁当タイムです。 外の様子を見に行きたくても、出来そうにない感じ(←あまり客席に出ないように言い渡された)。
しょうがない。 四時半頃から早々にお弁当を広げました。 幕の内。ペットボトルの爽健美茶つき。 去年まではカンのウーロン茶だったのに、ややグレードアップしたようです。
5時を過ぎたころに、「すでに行列ができているらしい」との噂が楽屋に入ります。嬉しいような、緊張がたかまるような。
開演前のベルがなります。 舞台からは管絃の調べが。始まったみたい……と思っている間もなく、第1部がおわり、あっというまに2部へ。
振鉾、蘭陵王も終わる。
そろそろです。狩衣を再びまとい、笙を手に、舞台の袖へ移動。 笙は、あぶらないといけないので、篳篥や龍笛のひとより先に動くことになります。 舞台では、胡徳楽が演じられていました。 袖に用意してあるコンロで楽器をあぶっていると、客席の笑い声が伝わってきます。舞台でどんなおもしろいことをやっているのか。気にはなりますが、見えません。幕の隙間からちらちらと見えるだけ。
笑い声と喝采を浴びて、舞人さんが退場してきました。 さあ、次です。 いったん、緞帳がおります。
舞台の裏を通って、右方の位置へ移動。 さっきと同じく、楽譜を入念にセットします。
緞帳があがりました。
二階までびっしりとうまった客席が、ちらりと視界の端に見えます。
緊張は、しませんでした。 小心者の私のことだからあがるだろうなあ、と思いはするんですが、いざとなると、いつも、案外、冷静(なら「あがるんだろうなあ」と思うのをやめたら良いようなものなんですけどね)。
桃李花、演奏開始です。 調子から、曲へ。舞人さんが、かすかに見えます。 懸命に吹きます。 1ページが終わり、次のページへ。
止め手がきます。
突然、客席がざわつきました。
驚いて、何が起こったのかと舞台を見ました。 ステージ上から桃色の花びらが舞い散り始めていました。きらきらとライトを浴びて、舞人の上に降る花びら。綺麗でした。舞台の上だけ、春がやってきました。入調の間も、花は降り続けました。
いったん、暗転の後に、長慶子。 発表会や公演で、すでに何度も吹いた曲。 素早い手移りにもだいぶ慣れました。 曲調も、耳に馴染んでいます。
拍手とともに、緞帳が下りました。
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「終わった〜〜〜」
肩の力を抜いて、立ち上がりました。 とたん、慣れない楽座にしびれていた足が動かず、ひっくり返りそうになりました。 どうにもこうにも、修業の足りない楽人ぶり。情けない(涙)。
友達の肩につかまってなんとか、舞台袖に退場。楽屋へ続く通路には、テーブルが用意され、半分だけビールが注がれた紙コップがずらりと並べてあります。
それを一つづつ受け取って、中央の楽屋へ全員、ぞろぞろと。
動員数の発表の後、「お疲れさまでした」と乾杯! 一息にビールを飲み干しました。
狩衣を脱ぎ、着替えを終えました。 楽屋の片づけがすんだのを見計らって、フェスティバルホールを出ました。 客席に来てくれていた方々に、ご挨拶したかったけれど、もうホールは電気も落ち、人の姿もほとんどありません。残念だけど、みんな、帰ってしまったようです。
風が肌寒く感じました。 楽屋のこもった空気のなかから出てきたばかりで、大阪の都心の空気なのに、やけに新鮮です。
駐車場から続く、楽屋口から表に出ます。 初めてここを通った二年前は、もうそれだけでどきどきして嬉しかったっけ……。 笙ケースに衣装ケース。大荷物を抱えて、川端の道を歩きます。 ここを歩くときは、たいてい、フェスからの帰り道。 客席にいるとき、舞台にあがったとき。状況は違いますが、なんだかふんわりと上気した気持ちは一緒です。
自分の演奏がどうだったか……判らない。 練習の成果をちゃんと出せたとは思うけれど、それでも、出来が良いというレベルじゃなかっただろう。少なくとも、この一月ばかり、気合いを入れて練習したから、そのぶん、上手くなったハズ。舞台を踏む、踏ませてもらう、っていうことは、それだけで意味がある気がする。
公演の出来不出来……それも、私が把握できるようなもんじゃない。 だけど、動員は2400人を越えたらしい。これはすごいこと。天井に近い席までびっしりうまった客席。1400年前にもきっと、同じ曲を、同じ大阪の町で聴いたひとがいただろう。戦国時代にも、江戸時代にも、おなじように。その伝統ある楽所の曲。自分で演奏に参加できるようになった。それが、嬉しい。
フェスティバルホールから、淀屋橋駅まで、5分程度の川端の遊歩道。 大阪の町で好きな景色をいくつかあげるとしたら、ここも入るなあ。
疲れた体に楽しい気持ちを詰め込んで、大きく息をつきながら、ゆっくりと、その道を歩きました。
そうして、今年の雅楽公演は、終わりました。
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最後になりましたが。
当日、見に来てくださった皆様。 激励の言葉をくださった皆様。 つきやまの姿を探してくださった皆様。
本当に、ありがとうございました。
お稽古場でいろいろアドバイスをくださったりした雅亮会の先生・先輩方。 一緒にあたふたとお稽古に通ってくださった同期生の皆様。
改めて、ありがとうございました。
フェス公演という大舞台を、例年以上に楽しめたのは、皆様のおかげです。
今後とも、どうぞよろしく、お願い申し上げます。
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