雅楽練習記 メインページ »» 初級編

目次


〈楽所〉に入る!
雅楽を演奏する組織、団体のことを楽所(がくそ)といいます。

江戸時代、日本の雅楽は、上方の三カ所の楽所が中心となり、支えていました。
三方楽所(さんぽうがくそ)……京都、南都(奈良)、天王寺(大坂)です。
江戸城の「紅葉山楽所」も、三方楽人によって構成されていました。

そんな、雅楽のメッカ、上方(かみがた)。
千四百年の歴史を持つ、とある楽所は、現在、一般から入所者を受けつけています。
○年前、私は四月の入所受付日に、お稽古場になる寺院に出かけました。

提出した申込用紙の住所欄を見て、〈楽所〉の先生は首をひねりました。
「これ……帰省先とちがいます?」
JRの学割が使える距離(200キロ以上)から通う気だとは思われなかったようです。
「いいえ。ここから通うんです」
「え。……いや、そらまあ、東京から通って来たはる人もいはるけど……」
「それよりは、まだ近いですから」

それでも、私の家から〈楽所〉まで、三時間はかかります。
往復なら六時間。

入所規約では、一年のお稽古のうち、欠席半分で落第、となっています。
〈楽所〉には、初級1,初級2、中級、上級の4クラスがあり、四年間の修業を終えると、正式に楽人となるための試験を受けられるのです。

(本当に通えるものかな)
自分でも半信半疑の私に、先生はおっしゃいました。
「遠いけど、がんばってくださいね」
こうして、私は、楽人修業の道を歩みはじめることになりました。
雅楽との出会い
そもそも、なんで雅楽に興味を持ったか。

突然ですが。
日本史専攻の大学院生(つまり私です)の日常は、地味です。
奨学金という名の借金と、アルバイトで暮らしを立て、いつか博物館学芸員なり大学教官なりの専門職につけることを夢見て、研究論文を書き続ける。
それが、一般的な院生の姿です。
(もちろん、全員が専門職になれるとは限らないんですけど・涙)

ゼミとバイトと研究室でのダベリ(笑)が日常です。
四六時中、史料と論文に埋もれています。

アルバイト。
私は、それすら、古文書の整理や解読ばかりやってきました。
虫食いだらけの古文書を解読して原稿用紙に書き起こす、その作業が一枚なんぼ。
市役所文化財課などから派遣され、旧家の蔵に埋もれていた古文書を整理し、目録を作って保存する作業を行う、それが一日なんぼ。
そんな仕事で収入を得、糊口をしのいできたわけです。

そんな生活をしていますので、雅楽と出会ったのも、史料のなかでした。
大坂の近世史料のなかに、楽人という文字を見つけたのです。

大坂の楽人。
古代から連綿と続くいくつかの家筋が、雅楽を生業として、近世にもなお大坂市中で暮らし、寺社、幕府、朝廷につかえて生きていたらしい。
「へ〜、雅びやなあ」
とても、興味がわきました。

……ところが。
雅楽にあまりにも無知だった私には、興味のままに調べようと思っても、出てくる用語のすべてが「???」でした。
「黄鐘」「盤渉」「壱越」……みんな音の名前なんですが、読み方すら判らない。
(註・「おうしき」「ばんしき」「いちこつ」と読みます)

ちょうどそのころ、バイト先の友達が、
「雅楽練習生募集!」
という記事を、大阪市営地下鉄の広報誌から見つけてくれました。

驚いたことに、まさに、史料で出会った、その〈楽所〉でした。
かつては、一部の楽家だけでしめられていた〈楽所〉が、今は、一般に開放されているというのです。

やりたい。
千年の歴史がある〈楽所〉。ここの楽人と呼ばれる身になってみたい。

しかも、〈楽所〉の受講料は、いわゆる「和もの」の「お稽古ごと」としては破格に安い!

(※数年後の註。その後、受講料、そのほか、値上がりしました。……今は、あまり安くないです……・涙)

(これは、後にも書きますが、後継者養成機関だからです。そもそも「お稽古ごと」ではないんですね。指定文化財でもある舞楽を絶やさないため、後継者を絶えず育成する必要があって、だから、安いんだと思います……せこい話で恐縮ですが -_-;)

そういうわけで、築山の楽人修業が始まりました。
楽器を選ぶ
入所生は、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)の、どれかのクラスに入ります。
打ち物(太鼓など)や、絃楽器(琵琶など)、あるいは、舞は、四年間の修業があけ、正会員の資格を得てからでないと教えてもらえません。

私は「笙」を選びました。
第一の理由は、見た目の華麗さです(笑)。

鳳凰が羽根を休めた姿とも言われ、頭(かしら)と呼ばれる黒塗りの部分には、華麗な蒔絵がほどこしてあったりします。

もちろん、音の繊細にも惹かれました。
パイプオルガンを、より繊細にしたような音色です。
天上の神々に、唯一つ届く、地上の音、といわれます。
天から降りてくる光、とも。

「笙がやりたいです!」
「あ、そう。どうぞ」
……当時の〈楽所〉は、入りたいと言えば誰でも入れました。
定員というものがなかったのです。

残念ながら、今は違います。
東儀秀樹さんの登場による雅楽人気(私もコンサートいきました!)。
癒し系音楽のブーム。
歌舞伎、狂言といった伝統芸能への注目。
そういったものが重なり合って、〈楽所〉の入所希望者はふくれあがり、結果、定員制をとるしかなくなりました。
各管20名限定で、それを越えたら抽選。
そうなる前に入れた私は、運が良かったのだと思います。

ただ。
笙を選んでしまったのは、運が良かったのか、悪かったのか。

笙を習うとなると、楽器が必要になります
篳篥、龍笛は、入所と同時に自前で買わなければなりませんが、笙だけは、〈楽所〉所有の管を貸し出してもらえると聞きました。

「らっきー」

そう思った己の浅はかさを、一年後、私は思い知ることになります。
なんで貸してくれるのかって……けたはずれに高価だからなんですね。
お稽古を始めたばかりで「買え」と言うのが酷なくらいに高い楽器だから。
二年目に入るまでに購入資金をためておいてね……そういう意味なんです。

一年後、返却期限を目前にして、笙の値段を聞いたとき、私は青ざめました。
なんで篳篥や龍笛と、値段が二桁も違うわけ〜〜〜〜!?
(註・最低価格ラインで比較)

見た目に惹かれちゃダメよね……。
私は、同じ思考パターンで笙科に入ってきていた友人らと(笑)、顔を見合わせ、引きつり笑いを浮かべたのでした。
雅楽の仲間たち
でも、笙を選んだからこそ雅楽を続けられたのかな、とも思います。

笙科のお稽古が始まったとき、生徒は20人ほど。
女性は半分弱だったでしょうか。
夏になり、秋になり……ふと気づくと、半期を過ぎたときには、生徒は半分近くに減っていました。
他のクラスも、そうだったようです。

後にも書きますが、〈楽所〉の指導は、必ずしも親切、丁寧ばかりではありません。
私も、ついていくのに必死、もうやめようか……という局面がなんどかありました。

結局、笙科の女性で残ったのは、私の他に、3名だけでした。

歳も立場も全然違います。
それでも、なぜか、笙をやろうと同じ春に思いついた4人です。

しかも、私と同様に、ちょっとナナメの動機で入所してきていました。
お寺のご子息で、それなりの必然性があって入所される方が大半のなか、ほとんど趣味で(いや、そうでもない方もいるのかな、もしかして)突然入所した、という意味です。

だいたい、笙のクラスというのは、、人気がありません(笑)。
上には、「定員がある」などと書きましたが、実際のところは、篳篥、龍笛が定員オーバーで抽選になっても、笙だけは、余裕で入れます。

見た目は派手でも、音は地味。
合奏になれば、ほとんど聞こえない。
役割は、縁の下の力持ち。
そのくせ、楽器は高い!

そんな楽器をわざわざやろうという人は、よっぽど雅楽が好きか、あるいは、まったく雅楽が判っていないか、どっちかです!

後者ぞろいだった私たちは(みなさま、これを読んで怒らないでね・笑)、とても、気が合いました。

〈楽所〉に行く前に待ち合わせてお茶したり、お稽古の後に飲みに行ったりし。
雅楽についてまったく無知なのに、突然習いに来てしまった自分たちに苦笑し。
うまく吹けないところ、判らなかったところを教えあい。
発表会用に何色の狩衣(かりぎぬ)を買うかで悩み(こういうところは必死で悩んだりする)。

とても楽しい時間がもてました。
これがあったから、往復六時間を通い続けられた、といっても過言ではありません。

とにもかくにも。
そういう仲間たちと一緒に、私の笙吹き修業は始まったわけなのです。
まず覚えろ!
いよいよ〈楽所〉開講です。

笙科の生徒に課されたのは、まず、笙という楽器を構成する十七本の竹の、一本一本の名称を、覚えることでした。

笙は、黒塗りの部分・頭(かしら)を、両の手のひらでくるむように持ちます。
その状態で、指だけを動かして、竹の根本に開いた小さな穴を押さえていき、演奏します。

竹は、順番に、「千十下乙工美一八也言七行上凡乞毛比」と、ぐるりと円を描いて、並んでいます。

右手の人差し指で押さえるのが「比(ひ)、乙(おつ)、下(げ)」の竹。
右手の親指で押さえるのが、「千(せん)、十(じゅう)、工(く)」の竹。
左手の親指で押さえるのが「美(び)、一(いち)、八(はち)、言(ごん)」の竹。
左手の人差し指で押さえるのが「七(しち)」の竹。
左手の中指で押さえるのが「行(ぎょう)」の竹。
左手の薬指で押さえるのが、「上(じょう)、凡(ぼう・本当はこの字ではないのですが、出ないので、これを使います)、乞(こつ)」の竹。

あれ、二本足りない……と思った方。計算がはやいですね。
二本は鳴らない竹なのです。「也」と「毛」。
リードもついていない、何のためにあるのかよく判らない竹です。ここから転じて、「や・もう→やぼ→野暮」という言葉が出来たとも言われています。

竹の名前が覚えられないと、何を言われても判りません。
「乞を押さえて」「一から八に手移りして」。そんな指示を受けるたび、
「ええと、乞といえば……」
と、もたもたしていたのでは、先には進めないのです。

当然ながら、一竹ずつが違う音で鳴ります。
その音に、これまた、西洋音楽とは違う名前がついています。「上無(かみむ)」「下無(しもむ)」「双調(そうじょう)」「平調(ひょうじょう)」など、全部で十二。

たとえば、西洋音楽のラは、雅楽では「黄鐘(おうしき)」と呼ばれ、「乞」「行」(オクターブ違い)の竹がその音をならし、それぞれ、左手中指と薬指で押さえる……。

西洋音楽の音名にあてはまる雅楽の音名と、
どの竹がその音色か、と
その竹は笙のどの位置にあって、どの指で押さえるか。
これをすべて、「来週までに覚えてきてください」と、先生は言われました。

「うわ……無茶やわ」
正直、私はそう思いました。
生まれて初めて笙などというものにさわり、「乞」だの「一」だのと言われ、頭が混乱しているのです。
加えて「黄鐘」だの「双調」だの言われて、いっぺんに覚えられると思ってんか! 

ですが、家に帰ってきたころには、逆に「よし、やるで〜〜」と、やけに燃えて初めていました。
何か新しいことを一から始める。
今までまったく知らなかったことをやる。
そういうときにしかない高揚感が生まれてきたのです。
テスト前、締め切り前になると、やけにハイになって力が出る……そういう感じです。

「覚えろいうんやったら、覚えたる〜〜」
もともと、テストのための暗記は、そう嫌いじゃありません。

一週間、私は、時間を見つけては、〈楽所〉特製の「笙の手引き書」を広げました。
「まだ吹いてはいけない」と言い渡されている笙を手にし、指を動かしつつ竹の位置を確かめました。

次の週のお稽古日がやってきたときには、私は完璧に、音名、竹名、竹の位置をそらんじていました。
「やればできるやん」
ちょっと自信のもてるスタートを切れた。そう感じていました。
……が!
どんどん覚えろ!
すべて完璧。
先生に何を聞かれても、ばっちり応えられる。
自分で自分をほめてあげたい! できれば先生にもほめられたい(笑)!
そんな気持ちで、翌週、私は〈楽所〉に出かけました。

「さ……覚えてきたかな」
先生は言われました。
「じゃあ、それはすんだということで。で、次に覚えてもらうのは……」

ちょっと待って、先生。先週の課題の確認はなしですかっ。
せっかく覚えてきたんだから、テストくらいしたってくださいよっ。

……心の叫びはむなしかったです。
先生は、すでに、次の課題へと話を移していました。

覚える内容は、まだまだあるんや。
言うたとこまでついてくんのは当たり前。いちいち確認するような甘い指導はせえへんで。
……無言の通告を聞いた気がしました。

(ちなみに、〈楽所〉の先生はほとんどが関西人です。なので、当然、会話は関西弁。雅楽用語も自然と、関西アクセントで覚えてしまいます。テレビなどで耳にするのと、微妙に違ったりして、ちょっと、笑えます)

思い出したのは、始業式の日のことです。
〈楽所〉開講日、初級生から上級生までが集まった大広間で、〈楽所〉の所長さんは言われました。
「〈楽所〉をカルチャーセンターと思われては困ります。ここは舞楽の伝承者を育てる場。お稽古ごと感覚で来られては迷惑です」

千年以上の間受け継がれてきた雅楽は、本来なら、一子相伝、一家相伝であり、外部には出されないはずのもの。
それを、一般に伝授しているのだから、伝授を受けた側が、自分の努力でついてくるのは当たり前。

それはちょっと、大学院のゼミと似ていました。
学費払ってるんやから親切に教えてーや。
そんなことをいっていては、院ゼミでは相手にされません。
学費は、いわば、在籍料。
丁寧な指導は、待っていてもやってはきません。
(頼めば指導してもらえますが)。
望んで、来た場所。
ついていきたくないものまで引っ張り上げていく場所ではないのです。

〈楽所〉は、そういう大人の指導をする場でした。
私は、ほめてもらいたくてがんばった自分の子供っぽさが恥ずかしくなりました。
同時に、不安にもなりました。
(この先、本当についていけるだろうか?)

本気で努力する者しか、相手にしてはもらえない。
ということは、もしも私が課題をサボりたおし、伝授についていけなくなっても、そのまま放って置かれるだけでしょう。
なまけ心を叱ってもらいながら続ける……そんな甘いことは、期待できそうにないのです。

その週の宿題は「合竹(あいたけ)をすべて覚えること」。
合竹とは、笙演奏の基本である和音の組み合わせのことです。
五本、あるいは六本の竹の音で和音が作り、それを主旋律に沿って鳴らしていくのが笙演奏なのです。

乙の合竹とは「乙」の竹を含む、「千、八、七、行、上」の組み合わせ。
一の合竹なら、「一」の竹を含む「乙、千、七、行、凡」の組み合わせ。

この合竹の組み合わせが、全部で十一通り。
それを、覚えて、指ですぐ動かせるようにしてこいと先生は言われました。

「覚えられるだろうか……」
覚える量は先週のほうがたくさんありました。
それでも……私は重い気持ちになっていました。

はたして、強制力もご褒美もないのに頑張れるほど雅楽を好きになれるものか、自信がなくなりはじめていたのです。
次は歌
さらに重い気持ちになるようなお稽古が、三週目からは始まりました。

歌です。
唱歌(しょうが)と言います。

笙は、先に書いたように、決められた合竹(あいたけ=和音)を、篳篥の主旋律に合わせていく楽器です。
楽譜には演奏すべき合竹が順に並んでいるだけで、旋律というものはありません。

つまり、笙の音だけでは、曲(旋律)がどういうものなのか、まるで判らないのです。
それでは、いざ合奏になったときに困ります。
なので、まず、旋律を口で歌って覚えてから、演奏の練習に入るのです。
この、口伝(くでん)のメロディを、唱歌といいます。

唱歌は楽譜には載っていません。
楽譜には、あくまで合い竹=和音の順番しか書いてありません。
先生が音名を口で歌って、旋律になおしていかれるのを、耳で聞き取り、楽譜にメモして、覚えなければなりません。

初めのお稽古曲は、越天楽(えてんらく)。
その唱歌は、文字に直すとこんな感じでした。

「ぼ〜お〜、いいいち、おつ〜〜、ぼ〜〜〜、じゅ〜うげえ〜、おつうううう」
(楽譜の記述は、凡・一・乙・凡・十下・乙)

こ、これを、真顔で、しかも、自分の膝で拍を取りながら、歌わなあかんのか……。

正直、ひっくり返りそうになりました。
「ちょっと待ってぇや。雅楽がこうやって伝承されてきたってことは、上代の楽人も……江戸時代の楽人も、これ、歌ってたわけ?」
……有り体に言って……なんか、間抜けな感じがしました(ごめんなさい!)。

(唱歌をするのは、笙奏者だけではありません。
篳篥にも、龍笛にも、それぞれの唱歌があって、合奏前には、まず、楽器を持たずに唱歌での合奏(合唱ですね)から始めたりします。
これもこれで、素人には非常に奇妙なもんです……(笑))。

でも。
ひっくり返りたくても何でも、唱歌は演奏の前提です。根幹部分です。やらないわけにはいきません。

唱歌の伝授を受ける際には、必ず正座……と言われました。
笙を演奏するときは、楽座(がくざ=あぐら)ですし、説明を聞いているときは、多少、足を崩していても何も言われません。
のですが、唱歌のときだけは、必ず正座。

「なんだかなぁ……」
正直、たいそうやな〜と思いました。
それに、自慢じゃないですが、私は音感に自信がないのです。
調律のできているピアノなら弾けるけれど、絶対音感の必要なバイオリンなら絶対弾けないタイプです。
(そういう人間には笙が最適……と気づいたのは後のことです。龍笛や篳篥なら、早々に挫折していたでしょう)
それが、いきなりアカペラで歌うことになるなんて。

しょうがない。
あきらめて、膝をたたいて拍をとりつつ、先生の後について歌い始めました。

「ぼ〜〜、いいいち、おつううう」

ところが。
不思議なことに、歌い終わると、なんだか、少し、気持ちが引き締まった気がしたのです。

ようやく、楽の伝統の端っこが見えたと感じました。
千年の時を口伝で越えてきた芸能。
紙に書いて伝えることを拒んできた芸能。
かっこええな〜〜(ほれぼれ)。

……もっとも、この時点でまだ、肝心の笙は、一度も吹かせてもらってませんでしたけど。
笙をあぶる
さて。
〈楽所〉が始まって、二月目に入ろうという頃。
ようやく、実際に笙を吹くお稽古に入ることになりました。

ああ長かった。
この雅楽練習記を読んでくださっている人も、そう思われていたのでは。

いつになったら笙を吹くんや。

ホント、このころ私も、毎週、そう思っていました。
吹き出すまでがこんなに長くかかるのなら、飽きてやめる人も出そうです。
龍笛も篳篥も、とっくの昔に吹き始めているのに、笙だけ、お預け。
ああ、つまらない……こんなことやから、笙のクラスは人気がないんやったりして。

そんなことを思いつつ(笑)、それでも、何とか飽きないうちに、その日はやってきました。

「まず、笙を取り出してください」
笙は、通常、西洋楽器と同じく、黒や茶色の楽器ケースに入っています
(持ち歩いていると、しばしば、西洋楽器と間違われます)。
開けると、布袋にくるまった笙が紐でケースに固定されています。
紐を解き、布袋から笙を出し、竹の間にはさまっているクッション状のものをはずし、それを布袋の上に置きます。
そのクッションを枕にする形で、竹の先端をもたれさせて置くのが、基本の置き方です。

そうしておいて、用意しないといけないのが、電気コンロです。
笙という楽器は、頭(かしら=竹のささっている黒い部分)を電気コンロで十分にあぶり、中の空気を暖めてからでないと吹いてはいけないのです。
いきなり息を吹き入れると、竹の先についているリードに結露して、音が狂ったりします。

ゆっくりあぶり、頭の中の空気が十分にあたたまったことを、まわりを指先でさわって確認した後、演奏します。
お稽古の最中も、口から離したらすぐあぶる。
吹き終わった後もしばらくあぶる。
とにかく、コンロと笙は切っても切れない関係なのです(当然、昔は火鉢です)

「では、あぶってください」

先生の言葉を合図に、コンロの十センチほど上で笙を持ちました。
まんべんなく暖まるようにくるくるとまわしながら、ゆっくりとあぶりはじめました。

これも……我ながら素人だと思うんですが。
あぶるといっても、どのくらいの程度をいうのか判らないんです。
ちょっと暖まればいいのか。焦げそうなほどにあつくしないとならないのか。

くるくるまわす……といっても、別にスピードは必要ありません。
頭の一方だけが熱くなるのを防げば良いだけです。
でも、それが判らず、むきになってぐるぐるぐるぐる回していて、先生に、
「そんなにまわさんでも……」
と苦笑されたこともありました。

もっと恥ずかしいのが、「どんな手段で暖めるか」ということ。
お稽古場には電気コンロがあります。でも、普通、家にはないでしょう、そんなもの。
家でお稽古するときは、何であぶればいいのでしょう。

「オーブントースターに入れる……わけにもいかないし」
「ガスコンロとか」
「電子レンジ……は無理だし」
「あ、いいこと思いついた。ドライヤーの熱風であっためる。これいい!」

……無茶苦茶言ってました。
「ガスコンロはあんまりよくないそうやし……オーブントースターもちょっと……。電気コンロ。なかったら電気ストーブ。どっちかくらい、あるんと違う?」

あきれながらも、ちゃんと応えてくれた先生の寛大なお心に感謝しております。

ホンマに、なんでこんな何も知らんのが入ってくるんや。そう仰りたい場面はきっと、この後も、数々あったと思うんですけど。

さて。いよいよ、あぶりおわりました。
笙を膝の上で両手に構え、指を、凡の合竹の形に置きました。
ゆっくりと、吹き口を顔の前に持ってきます。
……以下、次号(笑)。


※追記
上記の文章をネット公開後、他の楽所の楽人様からご指摘をいただきました。
笙を焙じる道具として、現在、一般的に、ドライヤーが使われているそうです。
これは別に、その方の所属楽所に限ったことではなく、携帯に便利であるため、〈楽所〉の楽人方も、出先での演奏にはドライヤーを使っておられるらしいのです。

(現代も、三方楽人方は、あちこちに出張奏楽に出向かれているため、、一緒に奏楽されたりもするとか。ちなみに、〈楽所〉の装束は、烏帽子に特徴があるので、すぐ「あ、あそこの楽人」だと判るらしい……)。

なのに、なんで教えてくれなかったのか。
おそらく、初心者相手には、そういう応用ワザは教えない、ということなのでしょう。あくまで、王道から入りなさい、と(笑)。
使い捨てカイロで暖めるのも「あまり良くない」「でもやっている」などと、噂を聞いておりますし、いろいろ、あるんでしょうね……。

とうとう吹けた!?
吹き口に思い切り、息を吹き込みました。
パイプオルガンに似た笙の音色が、ゆっくりと、お稽古場に広がっていきます。
二十人弱の生徒が、それぞれに鳴らす凡の合竹です。

西洋風ドレミでいうなら(ABCで言うよりわかりやすいですよね……?)、
レ(凡)、ラ(行)、シ(七)、ミ(オクターブ違いで八と乙)、ファのシャープ(千)
から成る和音です。
ちゃんと雅楽風に言えば、
壱越(いちこつ)、黄鐘(おうしき)、平調(ひょうじょう)、下無(しもむ)となるのでしょうか(違っていたらご指摘下さい……)。
妙なる調べに感動するまもなく、先生の指示が来ます。

「はい、吸ってー」
笙は、吹いても吸っても音の出る楽器です。
一度口に当てたら、息継ぎというものはなく、奏者はただ、笙の管を通じてのみ呼吸をし続けることになるのです。

吐いて、吸って、吐いて、吸って……。

笙を、自分の呼吸器の一部と思って呼吸し続けていかないと、どんどん苦しくなってきます。
いえ、そうやって呼吸していても、とにかく苦しいです。
四拍、息がもちません。
(あるいは逆に)変わる気替えがあるだけです。

吐く、吸うを繰り返していて苦しくなるはずはない……とは思うのですが、肺はついてきてくれません。
いつのまにか、ぜえぜえ言い始めています。
「では、次、手移り、いきましょう」
手移り……とは、一つの合竹から、次の合竹に指を動かすことです。
なめらかに、正確に、美しい手移り……が笙奏者の目指すところですが、この段階で、そんなことまで考えている余裕はありません。

「凡の合い竹から一の合い竹に移って」
このとき、動かす指は、左手親指のみ。
構えた笙や、他の指はいっさい動かさず、左手親指だけを、八の竹の穴から、隣の、一の竹の穴に動かします。
これまた西洋風に言うなら、高音のミをはなして、低音のシを入れるわけです。

簡単なことです。
膝の上に笙を置いて練習したときは、とっても楽でした。

ところが。
吹きながらそれをやろうとすると、全然違うのです。

口のすぐ脇に楽器があるのですから、穴の位置は当然、まったく見えません。
竹のどのあたりに穴が開いているのだったか。それさえ、視界ゼロではとっさに突き止められないのです。
「これかな……」
ようやく、一=低音のシ(とおぼしき竹)が鳴りました。
続いて、
「一の合い竹から乙の合い竹へ移って」

今度は、左手薬指も、凡から上へ、動かさないといけません。

これがまた、最悪なんです。
左手の薬指なんて、もともと神経の未発達な指。
しかも、押さえるべき竹の位置は吹き口からいちばん遠いあたり。

「ど、どれが上。ええと、中指の押さえているのが行の竹。上と言えばその隣。中指がここにあるから、隣……ホントにこれでよかったっけ。音、合ってるのかな」

もたもたしていると、指の全部が、
「ホントにこれ?」
と不安になります。

つい、口から離し、目で見える位置まで楽器をおろして、確かめてしまいます。
それで演奏は中断です。
息は、ぜえぜえ言い続けたままです……。

だめだ。
全然ダメ。

「なあ、吹けた……?」
帰り道、おそるおそる、同期の友人に尋ねました。
友人は、あいまいに、首を振りました。

正直、安心しました(笑)。

……でも、だからって、それで良いはずは、もちろん、ありません。

ホントに楽人になんて、なれるのかな……。
ため息のもれそうな、開講二月目の出来事でした。


申し合わせ……
お稽古のカリキュラムは、どんどん進んでいきます。
最初に習った曲は、平調(ひょうじょう)の越天楽(えてんらく)。
神社等で、おなじみの曲です。
(でも、笙だけで吹いていると、あんまり「聞き覚えがある」とは思えなかったですが)。
二曲目は、同じ平調の五常楽急(ごしょうらくきゅう)。
一年後、発表会で吹くことになる曲です。
どちらも、三週間ずつかけて、じっくりと習いました。
繰り返し唱歌(しょうが)してメロディを完璧に覚え、一つの合い竹(=和音)から別の合い竹へ移る、手移りの仕方も、一つ一つ、細かく指導を受けました。
五本、ないしは六本の指で作る合い竹。
たとえば、乙の合い竹から下の合い竹に移る場合には、
「最初にこの指をこう動かして、次にこの指を……」
と、細かい決まりがあります。
どれでも動かせばいいというものではありません。
また。
通常なら、一小節を吹き、気替えをする直前に、決まりどおりに指を動かして合い竹を移動し、ついで気替えし、次の和音を鳴らす……という手順になります。

が、なかには、まず気替えし、さらに一拍置いて手移りするという、通常とは違う順番での演奏=後打ちなる奏法を使う手移りがあるのです。

これがとってもややこしく……実際には、一年目はとてもそこまで気が回らず、とにかく違う穴を押さえないようにすることで、精一杯でした。

おまけに、雅楽には、よく判らない決まりがあることが判ってきました。
唱歌では、楽譜に乗っていないメロディを歌わなければならないのですが、その中に時折、「なんでここはこう歌うの?」と、まったく判らない、変則的な箇所が出てきます。
先生に「どうしてですか」とおたずねしました。

すると、

「それが申し合わせですから」とのお答え。
申し合わせ……って、いつ、誰が、どこで、誰と、申し合わせたんや!
思わず突っ込みたくなりました。
先生は、「常識」という顔でお答えになりましたが、雅楽素人としては、それだけではとても納得できません。どうしてそうなるのか、はっきりと説明してほしいのです。

「この〈楽所〉ではこう歌います。ほかの歌い方もありますけどね」
そういうのも、曖昧で困惑します(まあ、私は、この〈楽所〉の雅楽を教えてもらえればそのほうが嬉しいんですが)。
それでも、なんか、曖昧な感じがする。なんで西洋音楽みたいに、全部きっちり、楽譜にしないのかなあ。

……でも、実際、そこまで突っ込んで先生を問いつめることができるはずもなく。

「……そうなんですか」
で、納得して引き下がるほかありませんでした。
申し合わせ……今でも、ちょっと謎な言葉です。
いつ、誰が、どこで、誰と申し合わせたんですか。先生、教えてください……。



初めての合奏
お稽古が始まって、三ヶ月。
夏期休暇に入る直前、いよいよ、合奏の日がやってきました。

これまで、笙は笙、篳篥は篳篥、龍笛は龍笛と別れ、管別に練習してきました。
それが、初めて、音を合わせてみるのです。
打ち物(太鼓、鞨鼓、鉦鼓)ももちろん入ります。
(正規の楽人で、打ち物科の方が担当です)

初級1から上級まで、〈楽所〉の4階級、三管、各クラスの生徒が、全員、客殿と呼ばれる大広間に集まりました。
総勢、百五十人はいたでしょうか。

「まず初級1から」

広間の上座に、他の級の生徒さんたちと向かい合う形で、初級1の生徒が並びました。
篳篥を真ん中に、上手に笙、下手に龍笛です。
このときはまだ、各管、十五人以上はいました。

曲は平調(ひょうじょう)の越天楽(えてんらく)。
まずは音取り(ねとり)から、と言われました。

音取りとは音合わせの代わりに演奏する曲のこと。
雅楽の場合、それだけで独立した曲になっており、奏楽の前には必ず、その調の音取りが吹かれます。

ところが。

これが私には、大きな落とし穴でした。
実は、私は、初めてだったんです。
音取りなるものを、各管揃ったかたちで、生で聞くのが。
(笙のパートだけなら、普段の練習で聞いていました)。

音取りを吹くのは、各管の代表者ひとり=主管だけ。その他大勢=助音(じょいん)は、黙って聞いています。

音取りの吹き初めは笙。
笙は前もって調律されていて、吹き手によって音がぶれることはありませんから、笙の音が基準になって、他の楽器は音を合わせていきます。
笙に篳篥が重なり、最後に龍笛。
終わると、一呼吸の間をおいて、特に合図もなく、本曲に入ります。

私は、まず、それを理解していませんでした。

音取りの吹き終わりは龍笛。
本曲の吹き始めも、龍笛主管のソロです。

それが、どちらも初めて聞くメロディなのです。
(普段のお稽古では、笙のパート以外、聞くことはありません。まったく別の部屋で練習しています)。
ですから、
どこで音取りが終わったのか、
どこから曲に入ったのか、
まったく、わかりませんでした。

本曲では、笙、篳篥、および、龍笛の助音は、たいてい、二打目の太鼓がなった当たりで加わります。
つまり、楽譜の頭からではなく、途中から演奏に参加するのです。
この、加わりポイント(笑)を、付け所(つけどころ)と言います。
付け所までは、龍笛のソロ。
他の奏者は、付け所が判らなければ、吹き始めることすらできません。

ところが。

上記のような理由で、いつ本曲に入ったかが判らなかった私です。

「今、どこまで進んでるわけ??」

自分の楽譜を見ても、笙の合い竹=和音名しか書いてありませんので、龍笛の主管がどのあたりを吹いているのか、まるでわかりません。

唱歌で旋律を覚えたとはいえ、人の声と龍笛の音とでは、響きがまったく異なり、頭のなかで、一致してくれません。

「なになに、今、どこ???」

パニックしているうちに、演奏はすすみ、太鼓がなりました。
二回目の太鼓も鳴りました。
篳篥と、龍笛の助音の演奏が、いっせいにはじまりました。

「もう始まってますよ」

先生があわてて仰いました。
見てみれば、笙のクラスのなかでも、以前から笙の演奏経験があったり、他管の奏者を兼業されていたりする上手な方々は、とっくに吹き始めています。

もう付け所をすぎている!

でも、私を含め、「まったくの素人」組は、おたおたするばかりでした。
始まっていると言われたのだから、とりあえず、構えはします。
でも、今、楽譜のどこまですすんでいるのか、判らないんです。
何をどう吹いていいのか、見当がつきません。

おまけに。

周りの上手い笙奏者の音を聞いて合わそうと思っても、篳篥の大音響の隣では、笙の繊細な音などかき消され、自分で吹いている音さえ、まるで聞こえないのです。

構えたまま、楽器に息を吹き込めず、硬直し続け、むなしく、時間だけが過ぎていきました。

拍が判らない
越天楽の笙の楽譜では、四拍が一小節(のようなもの)です。

一小節が終わると、気替え(吐く→吸う、吸う→吐くと替えること)をします。
一小節に一つの合い竹が原則。
小節の変わり目が近づいてくると、まず手移りをして、次の合い竹に備え、それから気替えをして、おもむろに次の合い竹を吹き直す……それの繰り返しです。
数カ所だけ、一小節の半分で手移りし、一呼吸の間に二つの合い竹をする、ちょっとややこしい箇所があります。
笙のクラスでは、いつも先生が、手で拍をとってくれていました。

「一と二と(微妙に間をおいて)、三と四ぃんじゃ」
というのが、基本的な拍のとりかたです。
「四ぃんじゃ」って何?
と初めは思ったものですが、なんか、そういうのです(これも「申し合わせ」だったりして?)。

二拍目と四拍目の後に、微妙に間をとるのが決まりです。
手や口で拍をとってもらえると、それに合わせて、気替え、息継ぎをすれば良いので、演奏は楽です。

ところが。

合奏のときは、誰も拍をとってくれません。
雅楽に指揮者はいないのです。
それぞれが頭のなかで拍をとって、他の楽器に合わせていくだけです。
しかも、あうんの呼吸で、途中から早くなっていったりします。

自分の頭のなかのカウントだけが頼り。

なので、一度拍からはぐれると、初心者には再起不能です。

「拍の代わりに太鼓があるから」と、慣れた方は仰います。

でも、雅楽の太鼓は、一行に一度とか二度しか入らなかったりします。

おまけに、二回ずつなるんです!

楽譜には、三小節目の「乙」のとなりに太鼓の印が書いてあったとします。
すると、実際には、二小節目の終わりに、やや控えめに、「どん」。
三小節目の一拍目に、大きく、「ど〜ん」。

……これ、常識です。今は、当たり前のこととして、その音を聞いています。

でも、当時の私は、知らなかった。
だって、そんなこと、誰も教えてくれなかったから。
太鼓が鳴った、と思う。あわてて手移りする。なのに、もう一度鳴る。
なんで。
二打目は二行目だって書いてあるのに。なんで続けて鳴るわけ。
もうパニックです。

篳篥や龍笛の音で、曲のどこを吹いているかわかれば良いのですが、先にも書いたように、これも初心者には難しいです。

笙は、四拍づつで気替えをしますが、篳篥や龍笛の息継ぎは、まったく別のところにもあったりします。

それを知らなかったのです(ああホントに何も知らなかった……)。
篳篥が息継ぎをしていると、「え、今のとこ、拍の切れ目?」と焦ります。
焦って、まだ二拍目なのに、気替えしなきゃ、手移りしなきゃ……と、これまたパニックです。

結局、初めての合奏は、構えて吹いたふりをしただけで、終わりました。
一つの合い竹も、鳴らすことはできませんでした。

最初から最後まで、いったい楽譜のどこを吹いているのか判らず、おろおろしただけで終わりました。
曲を終わる箇所(止め手といいます)も判らず、まわりが吹き終えたので、一緒に笙を膝の上におろしただけです。

「吹かずに構えていただけの人のほうが、多かったなぁ……」
呆然と客席に引き上げる私たちに、先生が静かに声をかけました。


リタイヤしたい
初めての合奏は、惨敗でした。

いいわけは、いくらでもできます。
もっといろんな知識を、事前に教えてくれていたら。
せめて、先生が拍をとってくれていたら。

でも、結局は、雅楽のCDもろくに聞かずにいた自分が悪いのです。

〈楽所〉の指導は、「ど素人からでもできる雅楽」を看板にしています。
でも、素人とは言っても、雅楽の常識くらいは身につけていて当たり前。
「雅楽を習いたい」と言ってやってきたのは、自分なのですから、そのくらいの努力は、常識の範疇……だったのでしょう。

「夏休みは練習しないとな……」
切実に、思いました。

合奏の後、笙科合同の懇親会がありました。
クラスの集まりではなく、初級から上級、それに先生方まで含めて、〈楽所〉の笙に関わる人間が集まっての飲み会です。

この機会に!と耳学問に励みました。
それは楽しい時間でした。
合奏でへこんでいた気持ちも復活し、意欲も再び湧いてきました。

ところが。

実際、夏休みになってみると。
これが……なかなか、思うようにはいかないんですね。

どの程度、練習したか……ちょっと、大声では言えません。
だって、真夏に笙を吹くのは大変なんです。あぶらなきゃなりませんから。
近所迷惑を考えると、窓を開けっ放しで練習はできませんから、当然、締め切り、クーラーをつけます。そこで、さらに電気ストーブをつけて笙をあぶって……うう、この間の電気代はどのくらいだろう。
とてもとても、長時間練習なんてできません!

(※当時は、家での練習では、電気コンロでなく、電気ストーブを使っていました。
〈楽所〉での練習時には、〈楽所〉所有の電気コンロを貸してもらえたため、わざわざ自前のコンロを買う必要もなく、ストーブで代用していたのです。
状況が変わったのは、二年目に入ってから。
そのころから、入所生が急激に増え始め、〈楽所〉で使用するコンロも数が増えました。
結果、建物のブレーカーがしばしば落ちたり、それだけならまだしも、十分に冷え切らないままに、大量のコンロがお寺の倉庫に返却され、倉庫部屋が異様に高熱になり、下手したら火災の危険があるのでは……なんてことまで言われ始めました。
そこで、各自が、小さなコンロを購入し、それを責任持って管理することになったのです。
お稽古時の荷物が一気に大きくなり、非常に困ったのですが、これは、しょうがないこと。
長い目で見たら、家庭の電気代も少なくてすんで、助かったはず、と思っています)。


九月。
なんとなく、胸を張れない気持ちで、お稽古場に向かいました。

再開したお稽古場は、人数が減っていました。
そのまま、秋が深まり……一人、また一人と、来なくなりました。

理由は人それぞれ……でしょう。
仕事のシフトが変わり、お稽古時間に身が空かなくなったひともいました。
学校の勉強が忙しくなった人もいました。

そして、おそらくは、「お稽古が面白くない」「ついていけない」という人も。

私も、しばしば、思うようになりました。

「もうやめようかな……」

楽器の扱い方や、各管の、おおよその特徴。唱歌の基礎。
そんな、初歩の初歩を覚えてしまった後の、最初の難関 、中だるみがやって来ていたのです。

今になってみると、この段階で中だるみとは、と苦笑してしまいます。
でも、実際、このころがいちばん、自分の成長がよく判らない頃でした。

「何を教わっても新鮮で面白い」時期は終わった。
特殊な楽器をさわれるようになった喜びも薄れた。
だけど、吹くのが楽しいほど上手く吹けるわけではない。
自分が下手なことは判るけれど、そう下手じゃないひと、と、とても上手な人、のレベル差が判るほど耳がこえていないから、上達意欲もおこりにくい。

また、私に関していえば。
取材しようと思っていた雅楽の大枠は、なんとか掴めた気がしていました。
小説を仕上げるには、もう十分でした。

そうなると……どうにも、意欲が、続かなくなります。

同期の友人との間で、こんな会話が続きました。
「今週も、人数減ってたなあ……」
「来週は、私も来ないかも(笑)」
「リタイヤ? 一人で勝手に止めんといてや。私も一緒に止めるわ」

ちょうど、他の仕事が、忙しくなった時期でした。
私がお稽古をサボる回数は、次第に増え始めていました。
秋の定期公演・配役編
〈楽所〉では、毎年、11月の終わりに、ホール公演を行っています。
三千人もの観客を動員する、大舞台です。

でも、そんな公演は、初級生には関係ない。
どうせ、出演するのは四年間の修業と昇級審査をクリアした正規の楽人のみ。

そう思い、「中だるみ」の私は、さして興味も持たずにいました。

というより、
(それでも、公演協力費だけは徴収されるんだもん、イヤだなあ)
(チケットも回ってくるけど、雅楽公演なんて興味ある人ほとんどいないよ。無料であげるっていっても、「眠いからいらない」って返事ばかりだし)。
なんて思っていました。

註・二年目からは、チケット、割り当枚数では足りなくなるくらい、まわりに希望者が増えました。雅楽ブーム恐るべし。

ところが、思わぬことが判りました。
初級1の練習生にも、公演の役が回ってくるというのです。

演奏で出演できるのは、初級2以上。
註・現在は中級以上です。これまた、練習生増加のため変更になりました。
でも、演出助手(使い走り)、ロビーでのパンフレット売り、届けられる差し入れの仕分け、など、補助的な役が、初級1にも回ってきます。

それだけではなく。
なかには、白丁(はくちょう)という役も、ありました。
衣装をまとって舞台に立つ役です。

舞楽の最初に振鉾(えんぶ)という舞が舞われます。
左方、右方、両方の楽人が舞台にあがり、鉾を持って舞台を清める、という舞です。

その際、前もって、左方、右方、それぞれの鉾を持って舞台にあがっておき、袖から登場してくる舞人さんに手渡す役。

それが、白丁でした。

実は、そういう役があることは、夏休み前の飲み会の席で、聞いていました。
同期の友人と二人、先生に冗談半分で、「面白いし、二人でやったら?」と言われていたのです。

が、本当に、初級1の練習生に回ってくる役だとは思っていませんでした。

「この役、できたらいいなあ」

〈楽所〉では、舞は、正規の会員になってからでないと伝授されません。
練習生をやっている間は、舞の舞台に立つことはありません。
これが、唯一の機会です。

しかも、舞人に鉾を渡す……ということは、あの、鉾を手に持つことができる!

これは魅力でした。
雅楽器の本物にさわる、という目的はとうに達成していましたが、舞楽装束(鉾だって装束の一部です!)には、まださわったことがありません。
楽人の小説を書くのに、これは絶対、貴重な経験になるはずです。
こういうことがあると、「取材」しなきゃ、と意欲に燃えてしまう私です。

「それに、あの大ホールの舞台に立てる」
学生時代、サークル活動で、小さな公民館を借りて人形劇公演するでも胸が躍ったのです。
三千人を前に立つなんて、なんて楽しそうな話!

(絶対やりたい)
(手伝い役は手伝い役でも、白丁がやりたい! 舞台に立ちたい!)
(でも……きっと、みんなやりたいだろうなあ)

初級1で舞台に立てるのは、この役をやる二人だけ。
誰だって舞台には立ちたいに決まっている。
きっと、希望者が殺到するに違いない……。

そんなことを考えているうち。
とうとう、役決めの日がやってきました。
お稽古の後、手伝いを希望するひとだけが、大広間に集められました。
役の説明が、始まります。

白丁の役についても、もちろん、説明されます。
(そうそう、これこれ。これをやりたい!)
思いながら、話を聞きました。

先生は、たんたんと議事進行していきます。
「ほなら、一つずつ決めていこか」
さあ、いよいよです。
「そしたら、まず……白丁から。やりたいひと、いたら、手ぇあげて……」
「はいっ!」

先生の声が終わるか終わらないかのうちに、私は素早く手を挙げました。
絶対、やりたかったから。

「……」
場に、沈黙が流れました。

(気合い入ってるなあ)という顔で、先生がこちらを見ました。
他の練習生も、同じような顔で、こちらを見ていました。

手を挙げているひとは、他には誰もいませんでした。
(正確には、一緒にやろな、と言っていた友人は挙げていた(^_^;))。

「……他の役も、このくらい気合いいれて、立候補してほしいなあ」
先生が笑いながら仰いました。
「そしたら、白丁はこの二人に決定」

誰の手も上がらなかったのは、私(たち)の素早さに、皆があっけにとられていたからでしょうか。
それとも、楽も舞もやらない白丁は、一般的には、さして魅力を感じる役ではなかったのでしょうか。

いずれにしろ、私の初舞台は決まりました。

そうとなれば。
がぜん、雅楽への熱意が戻ってきます。

なんといっても、あこがれの舞楽装束を着られるのです。
(「でもたいしたことない服やで。白くて透けるし、寒いし、裸足やし」と念を押されてはいましたが)

あこがれのホールに立てるのです。
(好きなバンドのライブで、もう十回以上、観客として訪れているホールなので、その楽屋に入れるだけで、嬉しかった(^_^)v)。

「いやー、楽所に入って良かったなー」
浮かれ気分で、お稽古に出向く日が戻ってきました。

「こんどホール公演に出るねん」
友達にも言い回りました。

チケットを配る(押しつける)のにも、熱が入ってきました。

……相変わらず、笙のお稽古は、さぼりがちでしたけど。
秋の定期公演・練習編
気合いで白丁役を勝ち取った私(たち)。
当然、初級では出られないはずの、舞楽の練習に参加することになりました。

とはいえ、やることは簡単。

幕があがると舞台に鉾を持って出ていく。
所定の位置で立ち止まって正面を向く。
舞人さんが舞台袖から歩いて近づいてくるのを待つ。
舞人さんが勝手に鉾をとっていってくれるので、それに合わせて鉾から手を離す。
舞人さんの姿が視界から消えたころを見計らって、離した手を腰にあてる。
袖に向き直り、退場。

それだけです。

練習するほどのものでもありません、はっきり言って。

なので、練習も、一回しかなかったと思います(ちょっと記憶があやふや)。
公演直前の、舞楽のお稽古の日でした。

他の曲のお稽古が行われている間、演出の先生に呼ばれ、渡り廊下のすみで、初めて鉾を渡されました。

「軽い」

第一印象は、それでした。
もっとずっしりと重みのあるものかと思いましたが、「これ、中、空洞だよね」というくらい、軽い。もちろん、刃なんてついていません。

ちょっとがっかり。

そのまま舞台上で斬り合い(というと物騒なので、チャンバラ、くらいにしておきましょうか……)ができそうなくらい、カッコイイものを期待していたんですが、そうはいかないものです。
あれでは殴り合いでたんこぶ作るくらいしかできそうにありません(笑)。

いや、そもそも、そんなことする必然性はどこにもないのだけど(汗)。
(でも、こっそり、鉾で空を切ってみたりはしました。振り回すとしたら、どんな感じになるものかと思って(^_^;))

左方が金、右方が銀の鉾を使います。
私は、金。
たまたま、相方が遅れてきて、その場に私しかいなかったもので、
「じゃあ、あなたが金ね」
と簡単に決まったのです。

そうして、いよいよ、振鉾(えんぶ)の練習。堂内に呼ばれます。
私たちの出番は、曲目の始まる前。
やることは簡単なんですが、緊張はします。

お稽古場の雰囲気が怖いのです。

私たちは、練習生として〈楽所〉に出入りしています。
普段は、同級のメンバーとしか話す機会はありません。
〈楽所〉の正規の楽人の方は、担任の先生以外は、まったく面識がないのです。

名前も顔も知らない、だけどなんだか凄く偉いんだろうなあ、というような、顔から迫力がにじみ出ているような方々が、まわりをぐるりと取り囲んでいます。

もちろん、どなたも白丁なんか見ていなくて、振鉾の舞のほうを見ていらっしゃるんでしょうが、それでもなんだか、おろおろしてしまいます。

(まあ、適当に、こんな感じで……)
左手を上にする形で、ななめに鉾を持ちます。

「うーん、左右で角度が違うよ」

鉾の傾斜が違ったようで、すぐ注意が飛んできました。
舞台に立ってから、横を見て角度を合わせていたんでは間抜けです。
だいたいの角度を覚えておくように言われました。隣と合わせて、です。
これはちょっと難しいかも。

角度をいろいろ試していると、その間にも、
「足下はぴったり閉じます?ちょっと開きます?」
「鉾を放した後の手はどこにもっていこうか」
演出の先生方が、いろいろ話しておられます。

ただ持っているだけとはいえ、それなりに決めなければならないことはあるようです。

しかし。

「どうしようか、えーと、少し足広げるくらいで」
「少し……って、どのくらいですか」
「ええと、適当に。立ちやすいように。で、手はねえ……腰くらいでいいかな」
「手は握るんですが、開くんですか」
「ええと、どうしよう」

なんだか、結構、いい加減なような気も(笑)。

だけど、
(行き当たりばったりで決めてませんか、先生)。
そうつっこむわけにもいかないので、神妙な顔で、言われたとおりに動きます。

二度ほど、練習をしました。
舞人さんが歩いてこられるので、こちらは、ただじっと立って、それを待つ。

「舞人さんが勝手にとっていってくれるから、基本的には、何もしなくていいから」
ま、大丈夫でしょう……と、先生は仰いました。

「あとは、当日のリハーサルで、舞台の上でやりましょう」

実際に、フェスティバルホールの舞台にたって、待っている位置をどのあたりにするか、舞人さんが袖から歩いてくるのにどのくらい時間がかかるか、やってみる。

いよいよあのフェスに立てるのです。
なんだか、楽しくなってきます。

いつも観客として見ているホール。
ステージから見たら、客席はどの程度見えるんだろう。
何列目くらいまで、顔が見えるんだろう。
(←このあたり、動機が雅楽から離れたところにありそうな気もする……)
そんなことも、当日になったら確かめられる。

「あと、当日の衣装のことやけど」

注意事項が、いろいろありました。
寒いかもしれない、ということ(11月末でした)。
白くて透けやすい衣装だから、重ね着はしにくい。
しかし、可能ならば何か考えた方がよい。
アクセサリー。イヤリング、ネックレス、指輪、すべて、はずす。
忘れがちなのは腕時計。これも忘れずはずすこと。

「とにかくな」

先生は言われました。

「白丁っていうのは、いちばん初めに出る役やで。幕があがる。何が始まるのかな、と客が期待している。そのなかに、初っぱなに出ていくんやから、責任重大や。白丁の印象で、後のことがすべて決まってしまうみたいなもんやで」

思いっきり、脅かしの言葉(笑)。
でも、そのくらい気合いを入れないとだめだよ、ということなんでしょう。

「当日は、昼前に集合」
と言われました。

同じ初級1クラスで、パンフレット売り等を手伝うひとたちも、早めに集合がかかっています。

「パンフ売り等、お客様に接する可能性のあるひとは、ちゃんとスーツで来ること。……白丁さんは別にええで、なんでも」
「はい!」

……そうして。
次回は、いよいよ「本番編」です。

秋の定期公演・本番編
公演の舞台は、大阪肥後橋にある大きなホール。

「当日は駐車場の奥に楽屋口から入るように」と言われていました。
が、当日になってみると、さて、それがどこか判らない。それらしいものを探すのですが、駐車場の奥まで言っても、どうにも見つかりません。

しょうがなく、警備員さんにうかがうと、目の前にあった、非常扉のようなものが、目的の入り口だとか。意表をつかれ……それだけで、心躍る気持ちが、さらに大きくなるのが不思議です。

扉を開け、階段を上がると、途中の階に受付がありました。
名前と楽器、所属クラスを告げ、指定の楽屋に向かいます。

白丁役に割り当てられた楽屋は、立派な部屋。
応接セットがあり、床は絨毯です。
過去にフェスティバルホールで公演したアーティストが使ったんだろうなあ……と思うと、それだけで嬉しくなって、あちこち座ってみたり。

まずは、リハーサルのために着替えをしました。
上から下まで白装束の白丁。
会員の方に手取り足取り教わりながら、身につけていきます。
11月の終わりなので、結構寒いはず、と、シャツを重ね着する予定だったのですが、室内は予想外に暖かく、重ね着はパスすることに。

前髪をあげ、黒い烏帽子をかぶり、できあがりを鏡で確認してみると、
「なんだか、ひな人形の最下段にいそうな感じ……」。
見るからに下っ端役人。でも、予想していたよりは、立派に見えます。

鉾を渡され、いざ、舞台へ。

初めて立ったフェスティバルホールの舞台は、予想外に客席に近いものでした。
「客席の、前から三分の一は、顔まで見えるんじゃないのかな」。
演出の先生が、立ち位置をガムテープでチェックされている間、そんなのんきなことを考えていました。

白丁の役割は、本当に簡単なのです。
要領は、練習のときと同じ。
鉾を受け取る舞人さんが、装束姿だという点が違うだけです。

がらんとした客席が、夜には人で埋まるはず……そのときは緊張するのかな。
リハーサルの段階では、他人事のように、そう思っていました。

さて。
リハーサルが終わり、再び私服に着替えます。
この時点で、午後3時くらいです。
開演は6時半。

出番を待つ間、はっきり言って、暇でした。
なーんにもすることがないのです。

楽屋には、白丁役の二人のほか、初級1から手伝い役として参加している人たちが、十人足らず。
夕方になり、開場の時間になれば、受付、パンフレット売り、差し入れの仕分けなど、仕事はあります。
ですが、それまでは、みんな、暇。

となれば、することは一つ。
お喋りです。

それまで、同じ初級1でも、笙以外のひととは、話したことがありませんでした。
同じ楽屋に、龍笛の初級の方が数人、おられました。

まず、お互いに、探りをいれます。
「そっちのクラスはどう? ついていけてる? 脱落者は、どのくらいの割合?」

龍笛は、笙と違い、音が鳴るまでが大変だとか。いくらがんばってもどうしても音が鳴らせず、そのまま止めていった人が、何人かいると聞きました。
「笙の場合は、それはないけど……やっぱり手移りで挫折するかなあ……」

そんなお喋りをしている間、ひっきりなしにやってくるものがありました。
差し入れです。
開場前だということを考えれば、お客さんからのものではないはず。
なのに、どうしてこれほど来るのか……と疑問に思うほど、次々にやってきます。

「アイスキャンデーあるで」「キャラメルあるで(←ひとり一箱づつくらいあった)」「シュークリームあるで」……そんなに食べられませんてば!

舞台で舞や楽を担当する、会員の方々も、同じ楽屋に出入りされていました。
装束を身につけた、出番前の舞人さん。
「刺繍が重そうですねえ……端っこ触らせてください」
思わず、裾を持ち上げさせてもらいました。

驚いたのは、みなさん、リラックスしておられること。

考えてみれば、練習生にとっては「年に一度の大舞台」ですが、会員の方々は、聖霊会や経供養や、他所からの依頼舞楽や……日常的に舞台をこなしておられるのです。

「プロの余裕やなあ……」。

もちろん、会員のほとんどの方が、仕事を他に持っておられるわけで、そう言う意味では厳密にプロかどうか、判りません。

それでも、私は、思いました。
「プロやなあ。近世の楽人の連中も、こんな風に、いい感じの余裕、持ってたんやろなあ……」。

お弁当もいただき、お腹がいっぱいで苦しくなった頃、いよいよ開場です。
楽屋でお喋りしていた同期生たちが、「さあ仕事」と、次々にいなくなりました。

最後に残ったのは、白丁の二人。
「……どうしよ」
「先に、着替えとこか」

舞台が始まっても、第一部は「管弦」です。白丁役の出番は、まだ先。
それでも、念のため、早めに着替えました。

楽屋のなかで鉾を持ち、練習してみたり。
写真撮影もしました。

初舞台の記念です。
前から、横から、後ろから。
装束をしっかり覚えておきたいから、いろいろ、写しました。

そして……本番。

肝心の舞台の上で何を考えていたか、あまり記憶はないのです。
ただ、客席があまりに近くて、鉾をささげもっている間、下手に客席を見ると、誰かと目があってしまいそうで、視線を宙に浮かせていました。

緊張はしませんでした。
大舞台なのに、まるで冷静でいるのが、少しもったいないと思ったほどでした。
もっと、目が回るような緊張を、体験するものかと思ったのだけれど。

舞人さんが花道から近づいてくる間、足を綺麗に揃えて立てているかどうかが、やけに気になっていたのは覚えています。

楽がなり始め、何とか無事に役割を終えた白丁は、袖に引っ込みました。

実は……。
この日の、この後のことを、私は知りません。
このとき、どうしても、その日のうちに自宅に戻らなければならない用事があったのです。やりかけの仕事が進まず、一時間でも早く、家に帰って続きをやらなければならない状況でした(史料翻刻の締め切りとか、なんだかいろいろ、重なっていたんです。とある小説の原稿も書きかけでしたし←これは諸事情で、まだ形になってないんですけど(涙))。

ですから、自分の出番が終わると、ばたばたと装束を着替え、飛ぶようにホールを後にしました。閉会の挨拶を聞くことはできませんでした。

公演の時期に、時間的に余裕のないであろうことは、前もって、判っていました。
「そんななかで、わざわざ公演に出なくても……」
冷静に考えれば、そうです。
後かたづけにも参加できないぶん、迷惑も、かけてしまう。

だけど、どうしても、出たかった。

楽人の小説を書いているのだから、本物の楽人さんに話を聞きたい。
初級にいては触れることのできない舞の世界に、触れられるチャンス。
これを逃すわけにいかない……!

「ごめんなさい……」
申し訳ない気持ちと、それ以上に大きかったのは、心残り。
こういう大きなイベントは、最後にお互いの晴れ晴れとした顔を眺めて「お疲れさま」と言い合うのが、最高に楽しいのに。
「帰りたくないよー……」
後ろ髪引かれる思いで、私は最終の特急に乗り込みました。

「それにしても、なあ……」

シートに沈み込みつつ思い返すのは、長かった今日の一日。

楽所のことを調べたいと思い始めたときには、あんなに遠くに思えた雅楽の世界が、今日は、手に触れられるほど近くにあったのです。

別世界の住人だと思っていた楽人さんが、目の前で、やけにリラックスして差し入れのお菓子を食べてらっしゃったのです。

私にとって、雅楽は、夢まぼろしの雅な世界ではなくなりました。
汗の匂いのする、リアルな芸能です。

ただ……。
一つ、疑問が、わき起こりました。

「こういう雰囲気、うちの楽所だけなんやろか。この、やけにくだけた庶民的なノリは……この楽所だけ、なんやろか」

他の楽所をあまり知らないので、今も答えはよく判らないでいます。
ただ、私の目からみて、この日の舞台を一言で言い表すと、こんな感じでした。

「食べて、喋って、食べて、喋って……さあ舞台や、気合いいれよか!」

リラックスしている楽人さんの、新鮮さ。
最後の「さあ……」の切り替えが、格好良い。

「やっぱり、楽人って、いいよね」
しみじみ思いつつ、私は、楽人の小説の続きを書くために、一路、自宅へと向かったのでした。

……ところで。

肝心の、楽器の練習の方ですが。

実は、このころ、上記のような理由で時間に追われていた私は、公演会のお稽古以外は、ほとんど、練習に出ていませんでした。
もしかしたら一月近く、笙を吹いていなかったかもしれません。

そのツケは、もちろん、後になって、回ってくるのです……。
次は発表会
すったもんだの秋の定期公演が終われば、直に、年の瀬がやってきます。
12月は、半ば過ぎまでお稽古があって、その後、冬期休暇に入ります。
当時の私は、ホール公演さえ早退しなければならないほど切羽詰まった日常を送っていました。
そのため、12月のお稽古も、一度しか出席しませんでした。

「フエ吹いてる暇ないのよ!」

泣きそうになりながら、家で諸々の作業に取り組んでいました。

余談ですが、私は笙のことを、家ではフエと呼んでいます。
お稽古日には、
「今日はフエ吹きの日だから、出かけるからね」
家で練習するときは、
「ちょっとフエ吹いてもいい? うるさいけどゴメン」

フエ吹きという響きに愛着を感じているのです。
そのわりに、三管のなかでもっとも「フエ」じゃない楽器を選んでいるわけですが。

ばたばたとお正月を過ごし。
年明けに、ようやく、切羽詰まった日々を終えることができました。
年始のお稽古は、一月半ばからでした。
ほぼ一ヶ月、またまた、雅楽から離れてたことになります。

お稽古場は、いつも通りでした。
20人近くいたクラスメートは、12、3人に減ったところで、定着した模様。

「今日の曲は双調の胡飲酒破」

先生が、まず、唱歌をします。
みな、楽譜にメロディをメモしていきます。
続いて、全員でそのメロディを歌ってみます。
先生が一緒に歌ってくださるので、ほとんど、先生に引っ張られる形での唱歌になります。

歌の間に笙をあぶっておいて、演奏に移ります。
一通り、通しで吹く。何人かに分けて、部分的に吹く。
それを幾度か繰り返していると、時間になります。

「じゃあ、今日はここまで」。
となるのが、今までのお稽古。

一月になると、やや変則的になりました。
「3月の発表会の曲もやっときましょか」
お稽古の最後に、そんな言葉を先生が口にされます。

「みなさん知ってはるやろけど、3月には、練習所の発表会があります。みなさんが出演してお客さんに聴いてもらうことになります」

発表会の演奏曲は、平調の「五常楽急」でした。

入所して、まず習ったのが、平調の「越天楽」。
その次に習ったのが、「五常楽急」です。
「げ」
改めて楽譜を見なおしてみて、ちょっとげんなりしました。
「五常楽急」は、「引」の箇所が多いのです。

「引」とは、延ばすマークのようなもの。「乙・引」書いてあれば、乙を4拍吹いたあと、さらに4拍、気替なしに吹き続ける、ということです。つまり、8拍。

「息、保たないよ」

当時の私は、「引」を、途中で息を盗むことなしに、続けて吹くことが、できませんでした。どうやっても、できませんでした。どんなに大きく息を吸い込んで吹いても、できませんでした。

その「引」が、初っ端から出てる曲だ。
しかも、曲の途中にも、最後にも、しつこくある。
二行目なんて、「一・引・一・引」だよ。見るだけで息が苦しそう……。

実は。初っ端と最後は、主管(合奏のときの「代表者」。パートごとに一人ずつ置かれる)以外には縁のない箇所。その他大勢の奏者は演奏しません。
なので、私の第一印象の「げ」も、かなりの部分、取り越し苦労ではあったのです。

とはいえ、「五常楽急」は途中に繰り返し箇所のある曲。繰り返しの時には、その他大勢の奏者も、初っ端と最後の箇所を吹かなければなりません。
「引」の魔の手から完全に逃れることはできないのです。

「ま、いいか。合奏だし。全員で吹くんだし。私一人、途中で息が足りなくなって、音が消えてたとしても、誰も気づかないだろ」
たかをくくって、練習をしていました。

その「合奏」こそ、落とし穴であることにも、気づかずに……。
合奏必勝法発見!?
合奏。

その大きな壁を、夏休み前に、私は越え損ねました。
初めての合奏は、一つの合い竹も鳴らすことができず、惨敗でした。

でも、秋になって、二度目の合奏があったとき。
夏休み前の無惨な様子を見かねたのか、先生が、後ろに立って、
「1と2と、3と4いんじゃっ」
曲に合わせて、大きな声で、拍をとってくれました。

「はい、ここで気替えっ」
と、小声の指示も飛びます。
それに合わせてやってみると、なんと、曲が吹けるのです。
篳篥の大音響に圧倒されながらでも、楽譜通りに吹いていくことができるのです。

「これが雅楽の合奏かあ……!」
新鮮な喜びでした。
幾度か繰り返すうち、私は合奏が好きになり始めていました。

普段のお稽古で、笙だけで吹いていると、主旋律というものがないため、どんな曲なのか、今ひとつ判りません。
ですが、篳篥や龍笛が入ると、がぜん、「雅楽をやっている!」気分が盛り上がります。
自分が吹いている笙の音より他人の篳篥の音のほうが何倍も大きく、「なんだか下手」な自分の音色にため息をつきたくなる心配も、合奏の時にはありません。
笙のお稽古自体には「倦怠期」を迎えていても、「合奏は、なんとなく、楽しみ」、そんな気持ちを、私は抱き始めていました。

しかも、この頃は、「恐怖の主管」にあてられる可能性も、ほぼありませんでした。
主管とは、管の代表として、曲の前に「音取」を吹き、曲の終わりには「止め手」を吹く役目。当然、ソロパートです。
これは、目立ちます。
目立つ上に、音取では、普段ほとんど一緒に吹くことのない、篳篥の奏者さんと、呼吸を合わせて演奏しなければなりません。
間違えれば、鋭く指導が入ります。考えるだけでも怖い。

でも、幸運なことに、この頃は、まず、滅多に、主管にあてられることはありませんでした。

初級1クラスは、みな、一律に、「練習所一年目」のひとです。
だからといって、みんながみんな雅楽一年生なわけではありません。
別の楽所で経験があったり、個人で練習していたりで、「経験あり」のひとが半分ほどいます。
その人たちは主管の役目である「音取」、「止め手」も、器用にこなされます。

「ほら、乙に八、七を足して、そこで気替えっ」
いちいち指示をしてもらわなければならない私とは、大違い。

先生方も、
「まあ、あまり下手にやらせて合奏自体が滞るのも困るし」
と思われてか、自然、そういう方たちをあてることが多くなります。

なので、合奏の時間は、私にとって、「心地よく雅楽の調べにひたりながら、自分の責任のない箇所をできる範囲で吹く」という、居心地の良い時間になっていました。

ところが、です。
そんな気分で合奏を楽しんでいた私に、やってきたのは、発表会という壁でした。

そうです。
発表会は、当然のことながら、夏休み前のときと同じ。
後ろで拍をとってくれる先生がいないのです。

練習の時も、「本番ではできないのだから」、と、先生は拍取りをやめてしまわれました。
となると、頼りは打ち物。
しかし、とてもじゃないですが、それだけで判るはずがありません。

「ああ、吹けるようになったと思っていたのに」

「それなりに合奏もできるようになったわ」と思っていたのは、すべて、先生の拍取りがあったからだったのです。
それがなけりゃ、全く吹けない。

呆然としました。
「私、結局、夏休み前から進歩してない……」

発表会前は、管別の練習はなく、毎週、合奏が続きます。
「できない。吹けない」
怯えながら、お稽古場に向かいます。
三管と打ち物が揃い、並んで吹き始めます。
やっぱり、吹けない。
楽しみだった合奏も、もう楽しくない……。

ダメだ、と落ち込むと同時に、まわりが気になり始めました。
「他のみんなは、吹けてるのかなあ」
自分の音を出すのもそっちのけで、吹きながら、あたりをうかがってみました。
隣。前。斜め前。みんな、ちゃんと指が動いてるように見える。
やっぱり、落ちこぼれは私だけか……。

と。そのときでした。
「……あ」
気づきました。
斜め前のひと。
その手移りが、はっきり見える。
ということは、この手の動きに合わせて吹けばいいのでは?
そうすれば、私にも吹けるのでは?

いつものお稽古場は、先生を上座に、左右に分かれて向かい合う形で位置についています。だから、気づかなかったけど……。

(こうやって、上手いひとの手移りをカンニングしながら吹けばいいんだ……)

それは、ものすごい発見でした。
曲を聴きながらタイミングをはかることができなくても。
先生が拍をとってくれなくても。
斜め前のひとの指を見て、その真似さえすれば、落ちこぼれの私にも、手移りのタイミングが判るじゃないの!

私は、さっそく、カンニング作戦を実行に移しました。
楽譜で次の合い竹を確かめる。
あとは、斜め前のひとをうかがいながら吹く。
斜め前のひとの手が動いたら、こっちも合わせて動かす。

うまくいきました。
さあ、もう、これで、怖いものナシです。
合奏も、発表会も、恐るるに足らず。
再び、「いやー、合奏って楽しいなあ」の日々が戻ってきました。

……しかし、まあ。
今から思えば、なんとまあ、いい加減なことでしょう。
ひとの手移りをカンニングしている暇で、雅楽のCDを聴き込むとか、篳篥のメロディを覚えてみるとか、もっとできそうなことはあったと思うのですが(笑)。

それでも、このときは、これで合奏もクリアできる、と気づいたことで、本当に救われた気がしたものでした……。



ホームお知らせ自己紹介著作紹介江戸時代の大坂雅楽練習記お問い合せ
Copyright 2008-2017 TSUKIYAMA KEI Produced by Yokohamaya